宇喜田秀家の遺品って・・・オークションで!(>_<)

昨夜は22時前から干し上がり作業開始。
帰宅したのは午前1時でした。(>_<)

ふっくらと仕上がったムロアジ。
製造する度に美味しく仕上がってますね。
くさや菌の発酵力が日増しに良くなっていることが
大きな原因と思われます。

早速今日は朝一番から出荷作業。
飛行機も順調で、明日28日にはお届けできそうです。
できたての味!
ぜひお楽しみ下さいね。

お楽しみと言えば、
今日は午後から歴史セミナーに参加してきました。
今日のテーマは、「宇喜田秀家の遺品」
ちょうど歴史資料館で特別展示中の話題でしたので
とてもわかりやすかったです。

最初の流人と言うことで、八丈島でも
何かと話題に上がるのですが、島への貢献度は
(江戸幕府に咎められるため)
目立った事もできなかった影響からか特には
なかったようです。

ただ、知識、教養と言いますか
和歌などの筆からは、顧みることができました。

そうそう、秀家筆の和歌といえば
岡山の菩提寺さんは、オークションで落札されたとか・・・
そんなこと本当にあるんですね。
何だか身近に感じちゃいました。(苦笑)

お話しは少し異なりますが
秀家と一緒に医者として随従した村田道珍斎助六。
加賀の侍医で、相当の年月を経てから帰国の伺いを立てたが
その地でお世話すべしとの仰せで、島で生涯を尽くしたそうです。

興味深いことは、道珍斎の家計でした。
明治2年、宇喜田一族の大赦が下り、村田家も罷免に。

本家の子孫助六は、本家を分家の源五郎に譲りアメリカに渡ったそうです。
その時以来、本家の村田は「田村」と改め
分家だけが村田を姓としたそうです。

源五郎は東京板橋でお家を守り、
またもう一つの分家・庄治兵幸は八丈島に残りお家を守ったそうです。

残念ながら、八丈の子孫の方は結婚し名字が変わったため
現在、「田村」、「村田」を継ぐ方はいなくなったそうです。

歴史って、本当に身近で起こってるんですね。

来週は今年度最後の歴史セミナー
野外講座です。
場所は、私がまだ行ったことが無い「堀切り」。
場所は大阪トンネル。トンネルができる前に
当時の人が使用した古い道。

今から楽しみです!

楽しみと言えば明日はいよいよ駅伝大会当日。
雨、降らないといいな~
みんな、頑張れ~

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