時間は止まってくれないのかな。

日が昇り、明るくなった朝を迎えました。
「そろそろ起きないとかな~」
時計を見るのももどかしく寝返りを打っていると
「ん?!電話が鳴ってる。」

慌てて起き、受話器を取ろうとすると
「携帯か・・・」
その途端電話が切れてしまいました。名前を確認するとR兄ちゃん。すぐにリダイヤルすると、「亡くならら~」

昨夜遅く病院で亡くなり、すでに家に連れて帰ったと。
「ありがとうございます。」
時計を見るとまだ6時12分でしたね。

妻を起こし、「H兄ちゃん亡くなったって。行ってこよう。」「うん。」
すぐに着替えて、H兄ちゃん宅に。
自宅前には漁協組合長Kさんや、副組合長のMさんが。
「入っても大丈夫?」
頷く姿を確認して、
「おはようございます。」

すでに何本も線香が立てられていました。拝むより先に開いてあった棺桶に行くと、そこにはふっくらとしたH兄ちゃんがいましたね。

前回この家に来たのは、昨年の11月24日。H兄ちゃんのお母さんが亡くなり供養に来ました。当日の日記を見ると、妹さんからお茶を入れて頂き、

「あなたは・・・」
「前は東部落にいました。」
「こら偉けだら~西と東で部落長をやってろだら~」
「いや~東ではお世話になってたから。引っ越す前にね。」

「お父さんの時の・・・」
「あっ、そう!わが部落長だった!」
「ですよね~」
「あんど、おまえは(加工場の)Yさんのときも」
「そうそう、(加工場の)Tさんの所も。みんなに『おまえは加工場よ殺して殺して! 』 って言われて。」 (笑)

「西でも多かった?」
「うん、西も東もわが部落長やると・・・」 (笑)
「ご苦労様だ~」

そんな会話をしていましたね。まさか同じ場所で、こんな形で再会するとは。(>_<)

翌月の12月10日、「立てなくなった」と一便で急遽上京し入院。今年2月20日に帰島し翌21日お見舞いに。その時はとても元気で、足先も動きリハビリも行うとのことでした。

3月14日にケーキを持ってお見舞いに行ったときは、元気でしたがリハビリはやめ下半身はあまり良くない様子でしたね。
「おまえはくさやの液はいらないだろ~みのげぇ、けろわ~と言っとうが。」
「平気だよ。それよりトビが夜中に乾いたぁばあだんしょ~」
なんて、話しをしましたね。

そして4月13日。朝、「危なそうだよ。」と言われ、製造終了後病院に。
「H兄ちゃん。」と病室に入ると、一瞬こちらを見ると、再び頭を沈めました。

「どう?」
「辛くて・・・」と顔をしかめました。
「薬がきついんだって。」
「おい。朝、(薬を)断ら。」
「そうなんだ。」
「悪けが、今日はかんべんしとぅ。」
そう言って手を合わせるH兄ちゃんの姿が最後でしたね・・・

「お大事に。」と声をかけ部屋を出たときは、肉付きも良くまだまだ大丈夫と思っていましたが、本人は私が思う以上に辛かったようです。

私が北海道から島に帰島した頃
「選挙は面白きゃ~」と、政治の話しを楽しそうに教えてくれましたね。三十代で町議に。昨年10月、町議会議長になったばかりでしたのに。躊躇することなく2月末で町議を辞めたのは、自分の体調を良く理解していたのですね。

一緒に旅行に行き始めたのは、もう何年前かな。島を離れると、周りの目を気にせず好きなお酒とパチンコを楽しんでましたね。最後の旅行は、昨年の一月。長崎の平和公園でした。

フォトフレーム

まだまだ頑張って欲しかったのに。
あまりにも早すぎる死に、なんだかな・・・

加工場の先輩方が一人一人いなくなり、時代の移り変わりを感じます。
時間は止まってくれないのかな。
H兄ちゃん。お疲れ様。。。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

画像(JPEG)をコメントに添付できます。