東京マラソン公式フォト販売サービスは191枚でした。

一週間前の今頃、
「熟睡すると思ったら興奮して眠れなかった」(笑)
東京マラソン完走の余韻で・・・
一週間経つのはあっという間ですね。

そんな昨日は、一日中
「今頃、何km走ってた」
と、思い出しながら過ごてました。

で、夜は
「少し走ってくる」
と一人でジョギング。

いつも1km手前で山羊を飼育している先輩に
「完走したよ!」
「やっ?」
「夫婦で東京マラソン完走したよ!」
「よかろうじゃ~」

「だいど~嫁ははらいいみたい(走りはいらない)」
「(爆笑) ゆっくり休みやれ~て」

いつも練習時に
「ご苦労様~」
「今日はどこまで?」
「無理せずによ~」
と声をかけて頂いてました。

更に走り進むと
数年前交通事故があったホテル手前に。
いつも走りながら手を合わせ・・・

先月は
「無事完走できるように見ててね~」
と。(苦笑)

昨日は、
「完走できたよ~」と。

更に進むと、ゆーゆー牧場のジャージ牛たちが
搾乳を待ち並んでいます。
「今日は牛さんのところまで」
と練習の拠点にしていたところです。

こちらも「完走できたからね~」
と報告し、長友坂へ。

一人でしたので、淡々とのぼります。
キロ5分台でのぼりきります。
「もう少しいけるかな~」
と結局、8.81km 49分18秒 5分36秒ペースでした。
(後半5kmに限ると5分11秒ペース)

あと190mで9kmだったのに。
目標がないと、ここで終わるのですね。(苦笑)

これまでスピード練習をしてこなかったので
できればキロ5分ペースで走れるようになりたいのですが~
更に年を重ねるので無理かな~

まっ、
健康目的にコツコツと走る事を第一に。
焦らず、脚に負担かからない程度に走りたいと思います。

おっと~
東京マラソン公式フォト販売サービスのメールが届きました。
当日はゼッケンの上にジャンパーを着てたのでほとんど無いと思いましたが~

雷門前

カメラマンのいるフォトスポットでは、
「あっ、カメラだよ!(ジャンバー開けて)ゼッケン見せて~」
と妻と撮影して頂いたかいもあり、全191件の写真が。
もちろん、関係ない写真や同じパターンが何枚も。

スペシャルデーターセットは22,000円。
どこまでもお金かかりますね。(苦笑)

単数でも購入できるので、後日ゆっくり検討したいと思います。
ちなみに締め切りは4月20日です。

今日は午後からオンライン会議や
夜は21時30分までアイスランドセミナー等忙しいので
これで失礼します。

ボッと生きるよりも、いいかな。(笑)

長期的ビジョンを持つこと。
そんな話題の記事を読み、ふと気づくことがありました。

何だか、急な話題で申し訳ありません。(苦笑)
妻が昨日の最終便で帰省。夜10時頃、北海道に着いたと連絡ありました。
夕方5時前に家を出たのですが、わずか5時間で札幌の長男宅に着いてしまうのですね。

そんなわけで、今日は朝から依頼されていた見積もりや商品の発送を終え一段落。さて、この一週間、どうすごそうかと考えていました。

そんな時、ふとメールを見ると時間の管理法についての記事が。
どんな風に活用するんだろう?
と記事を読んでいくと、
常に数十年先を見据えることが大事であると書かれていました。

新入社員の頃、「15年先を見据えなさい。」と言われたことを思い出しました。あの頃は、目の前のできる事を一つずつ行うことで精一杯でしたね。
大失敗からスタートしたエゾアワビの中間育成にめどが立ち、種苗生産に成功。次はと初めた魚類飼育は、クロソイの全滅でまたも失敗からスタート。(>_<)これではいけないと修行に旅立ち、翌年クロソイの種苗生産に成功。続いてヒラメの育成を初め、クロガシラの種苗生産を成功させました。

当時は知識がスポンジのようにしみ込み、それを咀嚼して自分流として体から放出する事ができました。その一つ一つは技術でしたが、その先には「漁師さんの生活を潤させるため」というビジョンがありました。

そんな二十代が、社会人としての自分を育ててくれましたね。三十代でUターンし、ゼロから始める島の生活を支えたのはネットとの出会いでした。ダイヤル回線で「ピー」と接続するなんて、今の方には理解できないでしょうね。

画像一枚でさえ重く、動画なんて・・・そんな時代を変えたのは四十代。ソフトバンクの社長 孫正義氏との出会いでした。全国の離島で一番最初にYahoo!BBが整備された八丈島。島おこしが一気に加速し、自分の経験を120%役立てることができました。

そんな四十代の後半、環境問題に携わり、島での生活は一変します。行政、議会の決定に反対することはそれまでの生活をぶちこわすものでした。そして更に追い打ちを掛けたのは、人を信用できなくなったことでした。

五十代になり、PTA役員選挙で選ばれると新たな活動の場を与えられました。それまで○○くんのお母さん、□□さんのお父さんがとても身近になり、外に出る機会の少なかった自分が再び表舞台にでるようになりました。

教育の場に接し、子供達から成長する事の楽しさを学びましたね。自分自身も「子供達を通して、何かを伝えたい。」そう思うようになったのは、たくさんの先生、保護者そして関係者みなさんに接することができたからだと思います。

二年前の八丈高校卒業式。PTA会長の祝辞で紹介した言葉。

孫氏はこんなことを言ってます。
「来月の幸せのためじゃなくて、50年後100年後300年後の世界中の人々の幸せのために。」と。

自分は何ができるだろうと考え問い続けること。そしてその答えは人それぞれたくさんあるのだと言うこと。そのことを理解し、尊重し合うことが、私は大事だと考えています。

この一年、私はみなさんの成長を見てきました。
だからわかります。
「みなさんの未来は輝いている。」と。

卒業生への祝辞は、実は自分へのエールのような気もしてきましたね。(苦笑)
教育の場を離れ、次はどこに行くのだろう。そんな一年でした。ですから「おさださん!」と誘われると、できる限り断らず今日を迎えました。

明日は製造予定でしたが、10時から撮影があり、13時から9名の見学があり、15時からは加工組合の役員会が。一つの予定が日を追うごとに埋め尽くされていきます。

思うようにくさや屋の仕事をこなせませんが、「ボッと生きる」よりもいいかな。(笑)



三年間の想いを込めたPTA会長「祝辞」読んで下さいね。

三年前の春。
初めてのPTA役員として富士中学校・副会長職を終え
帰宅すると、
テレビの前に、「おめでとう!」
と書かれた紙と、八丈高校の封書がありました。

中を見ると、副会長と書かれてあり・・・
保護者のみなさんはじめ、誰もが予想しなかった選挙結果に
一番驚いたのは、もちろん私でしたね。(>_<)

 

一から学ぶ会議や行事に、戸惑ってばかり。
そんな一年もあっという間に過ぎ、
翌年には、「圧勝です!」
と前会長から引き継いだPTA会長。

毎回の挨拶に悩みつつも
この二年間、とても良い経験をさせて頂きました。

 

昨年の卒業式「祝辞」では、ケイから
「良いこと話してるんだろうけど、何が言いたいかわからなかった。」
と言われ、今年は伝わる祝辞にしたいなと。

よりわかりやすく、
でも昨年とは全く異なる内容にしたいな~
いろいろなパターンが頭をよぎりつつも
何が一番ふさわしいのか、絞ることができずにいました。

そんな時、息子ケイと保育園の時からいつも一緒だった
近所のYくんがわが家に。
「進路決まった?」
「第一志望ではないのですが・・・」
と、心許ない返事。

そうか~
卒業生の今の気持ちって。。。
私の心の中に、
卒業生の思いを見つけることができました。

卒業式四日前の午前3時。
突然頭の中に祝辞が浮かび、チラシの裏に走り書き。
それから何度も読み直し、完成させました。

 

卒業式の夜、
携帯にメールが届き
「卒業おめでとうございます。Kが隆弘さんの挨拶の言葉が心に響き感動して
優しく、格好いいステキなお父さんと大絶賛です。ありがとう。」
と。在校生のご家族からでした。

昨年の卒業式に出席した保護者の方からは
「長田さんの涙に会場の保護者、貰い泣きの嵐と聞きました。
見に行けば良かった。」

と。そんなことは・・・(>_<)

更に
「ご卒業おめでとうございます
昨年にも増して感動的な式だったんですね✨✨
一年前を思い出して胸が一杯になります?」

昨年の卒業式を思い出して頂き
私自身も胸が熱くなりました。
(昨年の卒業式様子は、こちら)

そして卒業生保護者みなさんからは、
「笑えて泣けてって最高峰の祝辞だよ?
笑いあり涙あり?」

「めちゃめちゃいい祝辞でしたよ。
言葉だけじゃなく思いが伝わりました。
きっとみんな一生忘れません^ ^」
更に更に
「本当よかったですよ、
子供達の事を本当に思ってくれてるんだなって感じで
どんな流暢な挨拶よりもステキでした^ ^」

男性陣からも
「(卒業した)息子も一緒に聞いてたけど、泣いてた。」

男飯のRくんからは
「隆弘さん、感動致しましたした❗?」
と。

来賓のTちゃんからは
「あんなに感動するPTA会長のスピーチ、日本中探してもないと思います!
去年も長田さんのスピーチに感動したけど今年は更に泣けました!
先生達も大泣きでしたね。思わずメガネを外して泣いてる男の先生もいましたよ。」

そして、
三年間一緒に役員を務めてくれたAちゃんからは
「Mに泣いた?って聞いたら、『長田さんの話しで一回だけ泣いた。』って話してました。
きっと彼女の心の中に一生残るでしょう。」
と。

怖くて息子には聞けなかったけど、
「卒業おめでとう!」
と伝えると、笑顔で
「ありがとう。」
って。

三年間の想いを込めた「祝辞」
読んで下さいね。
祝辞

第68期卒業生
普通科40名
園芸科0名
家政科1名に。

「祝辞」

卒業生のみなさん、そして保護者のみなさま、
本日は、ご卒業おめでとうございます。

校長先生はじめ教職員のみなさま、卒業生ひとりひとりを温かくご指導して下さり深く感謝申しあげます。また、ご来賓のみなさま、日頃のご支援に対し厚く御礼を申しあげます。

卒業生のみなさん
「おめでとう!」
この三年間、みなさんと一緒に八丈高校に通えることができ、とても感謝しています。

今日は、一つだけ
私がみなさんと同じ卒業生の頃のお話しをさせて下さい。
私の夢は、「八丈島の海をトコブシで一杯にすることでした。」

水産試験場で卒業研究をしながら八丈島の海を潜り、トコブシ調査のお手伝いをしていました。残念ながら第一希望でした水産試験場の試験に落ちましたが、総工費3億2千万。当時民間としては北海道一の規模となるアワビセンターに採用されました。

ところが、このセンター。北海道の方からは「この施設でアワビの飼育は無理だ。」「やり方を変えなさい。」「やめた方がいい。」と非難されていました。

私は、理解することができず「これまではダメだったかも知れない。でもチャレンジして何が悪いのですか!」と、涙を流しながら訴えた事があります。
そんな私に返ってきた答えは、
「君のチャレンジのために、何億円のお金を使うわけにはいかない。」
悔しかったですね。

私は100万個のアワビを育てました。一年後、30万個のアワビを殺し大失敗。数千万円の赤字となります。

ちょうどその頃、水産試験場の採用試験があり、私は東京に戻る機会に恵まれます。筆記試験を終え、面接を待つ間、北海道を今離れて良いの?あの涙はなんだったの?今、仕事辞めて、これから先、後悔しないの?

私は、「すみません。まだ北海道にやり残した事があります。それが終わったら、また受けに来ます。」と試験会場をあとにしました。

それから、地元のみなさんに協力してもらい、北海道でアワビ生産量第1位になります。アワビだけでなく、毎年一つずつヒラメやカレイなど魚介類の飼育にチャレンジし新しい技術を習得しました。

社会人として11年。北海道を離れるのですが、辞表を出す際、「おまえがいなくなると地元の水産が10年遅れる」と言われました。また北海道庁(当時水産部長)からは、「50億の栽培センターの所長にするから北海道に残れ。」と。

未来は、夢に向かって、失敗を重ねていくからこそ、輝きを増します。
その失敗の、乗り越え方一つ一つが、君たちの、人それぞれの人生となっていきます。

目先のことで失敗したからと言って、自分の希望する道では無かったからと言って、後悔するのではなく、もう少し先にある未来に向かって、もう少し先にある夢に向かって進んで下さい。

私のように大失敗して立ち上がれなくなったら、どうしても悔しくて人生を辞めたくなったら、後ろを振り向いてご覧。

みんなが君たちを支えてくれます。(みなさん、支えてくれますよね)

私の今の夢は、32年後の今日、君たちが保護者として、関係者として、PTA会長として、第100回目の卒業式を彩ってくれることです。そして、君たちの夢を、君たちの経験してきた人生を、次の世代に繋げて下さい。

「みんな!大きくなったね。
 卒業、おめでとう!
 そして、ありがとう!」
本日は、ご卒業、おめでとうございます。

平成30年3月2日
PTA会長 長田隆弘

最後の卒業式。第一部は「こんな様子でした。」

あまりの忙しさに、卒業式の様子を伝えきれず・・・
最後の卒業式様子です。

3月2日(金)
朝の日記には、

そんな祝辞も一通り、頭に入り
今朝方、内容も少し変え
予備の式辞用紙がないので、アドリブで変更ですね。
今日はこれからもう少し練習して
9時前に八丈高校に行ってきます!

と書かれていました。

 

三年間、役員として通った八丈高校に
向かいます。

昨年より5分早く
8時50分くらいに家を出て、八高に。
一年前と同じように、先生方が駐車係を。
車を降りると
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます!」

昨年は、私から先生方に
「おめでとうございます!」
と声かけしてましたが
今年はなんだかくすぐったかったですね。

 

校長室には、すでo校長先生をはじめ
席に座ってらっしゃり・・・

この雰囲気も、今年で最後と
一番奥の席に着きました。

「泣くんでしょ。」
「いえいえ、今年は泣かない祝辞を書いてきましたから!」
なんて。(苦笑)

「4年前、P連の司会をやらせて頂き、ありがとうございました。それがきっかけで今があります。」
「いやいや、必然ですよ。」

「P連、何かあったんですか?」
「4年前、八丈島が担当校で、司会をやってもらったんです。」
「で、私が大失敗しまして。」(笑)

そんな談笑をしていると、
名前を呼ばれ、入場順に並びました。

で、ズボンを上げると
「あれ?ベルトし忘れた!」
三年目の今年は余裕だと思ったら
「これだ~」(苦笑)

 

卒業生の前を通り、
ケイの姿を確認しながら・・・

いつもなら興味なさそうなケイも
さすがに、入場を確認していましたね。

卒業証書授与は
先生方の涙と思いのこもった呼びかけから
一人一人、壇上に上がりました。

ケイの番になり
卒業証書

大きくなりましたね。
ミクママの撮影したカメラは、思いっきり手ぶれで。(苦笑)
授与

でも、子供達最後の卒業式。
仕方ないですね。

 

校長先生の式辞、
都教育委員会挨拶
そして町長の祝辞。

私の祝辞となり・・・

昨年と異なり、
余裕を持って、壇上に。

胸元に入れた祝辞用紙を広げ、
顔を上げた途端

言葉に表せない、グッと来るものが
こみ上げ

「卒業生のみなさん!」
声が震えてました。(>_<) 「あれ?こんなはずじゃ・・・ごめんね。」 祝辞

あんなに練習したのに。(>_<)
祝辞については、みなさんの感想も含めて
後日、詳しくご紹介しますね。

 

卒業生の式歌は
「3月9日」でした。

歌い出しの女子生徒から、すでに涙が。
涙が

生徒数も少ない上に・・・
3月9日

想いに溢れた式歌で
参りました。

子供達は、午後から
「きちんと歌いたい!」
と、もう一度聞かせてくれたんですよ。

 

あっという間に、式は終わり
写真撮影。
卒業生

今年は、クラス別に保護者との撮影も行われました。
親子で

動物園と評された、C組です。(笑)
C組!

ミクママはケイと二人で。
二人で

そんなケイも、午後からの祝う会を終え
八高最後の談笑を。
談笑

いつも一緒に過ごしたaちゃんと二人で。
仲良しと

もっと一杯紹介したいのですが
もうすぐ会議。
今日はこれで失礼しますね。

卒業式についてはまたご紹介しますね。

祝辞です。って、これって祝辞なのかな~笑

昨夜は四日ぶりに熟睡!!

できたら良かったのですが。(苦笑)
やはり何度か、深夜に目覚めながら
再び深い眠りに。

朝4時か5時頃には、いつ起きようかな~
と悩んでました。(苦笑)

結局少し早めに起きて
録画しておいた
綾瀬はるか主演の「精霊の守り人」
を観てました。

 

久しぶりに頭が開放されましたが
もう少し上手に、祝辞を伝えられなかったのかな~
と、反省も少し。

ちなみに、息子ケイからは
「良いこと話してるんだろうけど、何が言いたいかわからなかった。」
なんと・・・(>_<)

もう少しかみ砕いて話した方が良かったのかな・・・

そんな祝辞ですが、こんな感じでした。
ただし・・・
実は途中、アドリブで変わってます。笑

 

「祝辞」

卒業生のみなさん、そして保護者のみなさま、
本日は、ご卒業おめでとうございます。

千葉校長先生はじめ教職員のみなさま、卒業生ひとりひとりを温かく見守り、導き、ご指導して下さり深く感謝申しあげます。ご来賓のみなさまにおきましては日頃のご支援に対し厚く御礼を申し上げます。

さて、卒業生のみなさん
凛々しく、たくましくなりましたね。
これからそれぞれの道を歩むみなさんに、同じ八丈高校を卒業した先輩として一つだけお話しさせて下さい。

2003年8月4日。
今から14年前、みなさんは何があったかご存じですか?
私にとっては、北海道から八丈島に帰ってきて一番輝ける思い出の日です。
この日、ソフトバンクグループ社長の孫正義氏が八丈島に来ました。
総資産額197億ドル(約2兆2500億円)。日本一のお金持ちです。

当時、八丈島は今のようにインターネットを利用することができませんでした。スマホを持ってWi-Fiなんて想像もつきません。

本州と同じようにインターネットが24時間利用できる島にしたい。20代、30代の若者たち。そう、みなさんの先輩方が署名を集め活動しました。
ところが、八丈島にインフラを整えようとする企業はどこにもありませんでした。

そんな時、東京で働いていた卒業生が、この活動を知り、自分も何かできないかと考えました。そして、孫正義氏に直接メールを送ったのです。「八丈島にインターネットを繋げて下さい。」と。

その熱い気持ちに応えて孫氏が、八丈島に来島した日が2003年8月4日です。彼は、全国の離島で一番最初にYahoo!BBをこの八丈島に設置しました。

みなさんが当たり前に使うスマホは、こうした先輩方の努力と行動力で得たものだったのです。

孫氏はこんなことを言ってます。
「来月の幸せのためじゃなくて、50年後100年後300年後の世界中の人々の幸せのために。」と。

自分は何ができるだろうと考え問い続けること。そしてその答えは人それぞれたくさんあるのだと言うこと。そのことを理解し、尊重し合うことが、私は大事だと考えています。

この一年、私はみなさんの成長を見てきました。
だからわかります。
「みなさんの未来は輝いている。」と。

本日は、ご卒業、本当におめでとうございます。

平成29年3月3日 PTA会長

 

実際は、
先に挨拶しました校長先生、支庁長と共通する部分がありましたので
そこの部分は強調させました。

そして真剣に話を聞いてくれた卒業生に
話しながら感じた想いをそのまま純粋に伝えました。

原稿を読むと、2分30秒くらい。
でも、それじゃ味気ないと・・・
自分の言葉に代えていきました。

ところが
緊張のため、言葉の繋がりに欠けてしまい
スムーズに話すことができませんでしたね。

もう少し、励みが必要ですね。

時間的には、たぶん5分弱かな・・・
勘ですが。笑
参考にいくつかの祝辞を読みましたが
自分の伝えたいこととは少し異なっていたので
思い切って、話したいことだけにしました。

良いかどうかは、私には判断できませんが
形式にこだわりすぎないことも大事かなと思います。

ちなみに、ミクママ曰く
「形式も大事だよ。」
だそうです。(>_<)
今日は、午後1時30分から
島民大学 「八丈島小島青ヶ島年代記」を読む。
午後5時からは、富士中学校の作品展示会。
夜7時30分からは、
高校生のハワイー八丈ー新島リーダーシッププログラムの報告会。

今日は聞き役に回ります。

明日5日は、焼きくさやの製造。
6日からは、春飛魚の製造を予定しています。

お昼に帰ろうと、店を閉めようとしたら
たまたまH兄ちゃんが、車で通り過ぎ
ブゥ~ン
と、急バック。

何かと思いましたら、
「東京に行くから、父ちゃんとトビかめぇ!(食べろ)」
「ありがとう!」(^O^)

春飛魚

今晩は、飛魚のたたきですね。
やった!!

追記(2018年3月9日)

三年間の思いを込めた二年目の祝辞は、こちらです。

今日はPTA会長として初めての祝辞でした。もちろん、やっちゃいました!笑

今日は、待ちに待った八丈高校の卒業式!!
今年の卒業生は第67期となります。

普通科54名
園芸科2名
家政科2名
総計58名でした。

8時55分過ぎに自宅を出発。
八丈高校の玄関前には、卒業生保護者みなさんが。
「おめでとうございます!」

今年は、子供達最後の保護者も多く
式前から、ちょっと胸に来るものがありましたね。

校長室前ではコサージュを。
コサージュ

 

「(花粉が?)くっつくけど大丈夫かな?」
「平気平気。」

後ろを振り越えると
昨年退職したT先生が!
「あっ!先生!」
思わず握手をしてしまい
「どお?」
「おかげさまで、何とか一年。でも今日の祝辞が・・・」
「大丈夫よ~カラオケのつもりでやれば!」(笑)

 

校長室に入ると、
小中学校の校長先生が7割くらい来てました。

「たろちゃん、立ってないで座りな。」
「あっ、私は大丈夫です・・・」
「私も昨年そうやって立ってたけど(苦笑) 座って大丈夫だよ。」
「はい。」

講師来賓として、今年初めての卒業式。
三根、大賀郷、三原の小、中学校それぞれの校長先生が揃うと
さすがに一歩引きますよね。(笑)

三原中のO校長先生から
「おさださん!」
「はい!あっ、昨日はどうも!」
「祝辞、楽しみにしてるから~」
「何言ってるんですか!以前の事が走馬燈のようにぐるぐる回ってるんですから!」(笑)
「大丈夫。もう、場数踏んでるから!」

3年前、島しょP連大会開会式の司会で
頭が真っ白に。
突然
「すみません!」
と頭を下げ、会場は大爆笑に。(^O^)

思い起こせば、この日から役員仕事が増え
私の人生は、
と言うか
私のスタイルは変わってしまった。(>_<)

町長、教育長、支庁長に挨拶をし
まもなくすると、入場となりました。

入場を待つ卒業生の前を歩き・・・
中学校の頃、当店に体験学習に来たMくんをはじめみんなに
「おめでとう!」
「ありがとうございます!」

担任の先生方も笑顔でしたね。

視聴覚ホールに入ると、
すでに在校生、保護者のみなさんで一杯。

「あっ、おさださん。」
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」

この一年で、仲良くなった保護者のみなさんも多く
「今日はご苦労様!」
「いえいえ、おめでとうございます!」

昨年の卒業式は、緊張してただただ前の人に
着いて歩くだけだったのに~
PTA会長をやって良かったな。
そう思いました。

そして卒業式が始まります。
堂々と卒業証書を手にする卒業生たち。

みんな、大きくなったな・・・
いや、逞しくなりました。
凜々しくなりました。

校長先生の式辞
支庁長(東京都教育委員会)の挨拶
そして町長の祝辞

これから祝辞が続くんだろうな~
とのんびりしていたら
「八丈高校PTA会長・・・」

えっ!私!!(>_<)
この時点で、すでにやらかしちゃいました。

 

保護者、来賓、先生方に一礼し壇上に。
日の丸の前で一礼。
そして中央に。

ちょっと疲れた様子の視線を感じながら
祝辞をはじめました。

お礼を述べ
卒業生への言葉をかけ始めたところで
「ん?!」
言葉が出てこない。

出てきた言葉が、
「ごめんね。緊張しちゃった!」
(笑)
会場の緊張が解け、場は和んだのですが

私はというと~
「やらかしちゃった!」(>_<)

あとはもう、知りません!(苦笑)
卒業生だけの顔を見ながら、お話しを進めました。

話が進むにつれ、卒業生達の眼差しが
私に集中してくるのを感じます。

「あれ?」
「この空間は何?」
「私と、卒業生。」
「他には何も見え無い。」

どんどん引き込まれていく
いや、
卒業生達に吸い込まれそうなのは私の方かもしれない。

ピーンと張った糸が、一人一人と
繋がってる感覚がありました。

自分自身では、それでも思うように滑舌が進まず
反省しきりでしたが・・・

「ご卒業、本当におめでとうございます!」
と括り、祝辞を終えました。

終わった・・・
祝辞の内容は、普通ではありませんでしたが
八丈高校に誇りを持ち、これからの未来に向かって
エールを送ったつもりです。

卒業生達の「遙か」を聞き終えると
涙が・・・

あれ?
こんなに感情が入っているのはなぜ?
自分には理解できないところに
陥ってしまいました。

来賓席から退場。

保護者の前を通ると
「おさださん!よかったよ。」
「えっ~ごめんなさい。緊張しちゃって・・・」
隣の保護者の方からも
「ううん、ほんとによかった!」

笑顔で送っていただき、
少しホッとしました。

校長先生から
「良いお話しをありがとうございました。」
と。

副校長先生、企画室長のOさん
「知らなかった!」
「今度もっと聞かせて下さい!」

玄関を出ると、
M先生から
「よかったよ!みんなが聞き入ってた。
あの、笑いがまた良かった!」(笑)

FBには保護者の方から、
お疲れさでした!
祝辞、すごくすごく良かったです!それまで出なかった涙がどわっと出ちゃいましたよ(T_T)
子供達に今日一番伝わったと思います(^^)
と。

お世辞と理解しつつも
みなさんに喜んでいただき嬉しかったです。

さて、
これから漁協に行き、春飛魚漁の様子を聞いてきますね。

あ~
やっと肩の荷が下りました。(^O^)

最後に、
子供達への祝辞は、こちらです。