世界遺産を巡った旅行も最終日に。青葉城跡のミニシアターで出会ったのは!旅行(6)

今日から焼きくさやの製造がスタート。
早朝からくさやの香りで一杯です。

そんな中お客様が。
「いつもくさやを買いに来る方が来れなくて・・・
(その方への)お土産を買いに来ました。」
と。

嬉しいですね。
焼きくさやと激辛を購入して頂きました。(^O^)

お土産には、焼きくさや
やはり一番人気ですね。

さて、
ちょうど一週間前のお話しです。

 

6月7日(木)
いよいよ旅行も四日目。
自由行動も今日が最後です。

朝9時前に集合し
「歩いて行こがん。30分くらいだっていや。」

仙台の町並みを歩き
仙台町内

しばらくすると
「家紋が見えた!」
家紋通り

「きっとこの辺りから始まるんだろうね。」
と話しながら、大橋に。
大橋

広瀬川を渡ると
広瀬川

「仙台城跡に、着いた!」(^O^)
仙台城跡

すぐ近くの三の丸跡、仙台市博物館に向かいました。
仙台市博物館

やはり注目は、伊達政宗の甲冑ですね。
甲冑

偶然、20分間のシアター時間が案内され
「見よう~」
と、ミニシアターに。

内容は、「支倉常長-光と影」
でした。

 

支倉常長は、今から400年前。
伊達政宗の命で、
宣教師ルイス・ソテロが率いる約30人の使節団や多くの商人ら約180人と
ヨーロッパに渡りスペイン国王とローマ教皇に会い、外交関係を結びにいきました。

ローマでは歓待を受け、公民権まで与えられましたが
日本国内ではキリスト教禁止令が発せられるなど徳川幕府の対外政策が変化してきたため
スペインとの貿易交渉は思うように進まなかったそうです。

1617年7月、
アカプルコ港からサン・フアン・バウティスタ号に乗った常長は、
マニラを経て長崎、そして仙台へと帰国。
キリスト教弾圧が厳しさを増すなか、1622年8月、52年の生涯を閉じます。

250年後。
明治維新まで支倉常長の名前は表舞台から遠ざかり忘れられていました。

 

常長の名前に光が当てられたのは1873年。
明治政府が欧米に派遣した岩倉具視使節団が、
訪問地のイタリアで常長の業績を知らされたからだそうです。

支倉常長は
実在の日本人を描いた最も古い油絵として知られ、国宝「支倉常長像」として、
今も見ることができます。
支倉常長

ちなみに、
慶長遣欧使節関係資料のうち、
「支倉常長像」「ローマ教皇パウロ五世像」「ローマ市公民権証書」の3点は、
平成25年6月にユネスコ記憶遺産に登録されています。

と言うわけで
すっかり支倉常長にはまってしまいました。(苦笑)

 

そして、いよいよ
伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)へ。
家康の警戒を避けるために天守閣は設けなかったそうです。

標高約130m。
城は消失し、石垣と政宗公騎馬像を目指し
坂を登り始めました。
上を見ると緩やかに見えるのですが、これが結構キツく
登り始めると

下を見ましたら、すぐに納得!
「勾配、こんなにきつかったんだ~」(>_<)
下を向くと

ようやく石垣が見え、もうすぐ!
石垣

さすがにきつく
上っていく車のエンジン音が響きます。

 

更に、詰門跡をくぐり本丸跡に向かうと
「着いたよ~」
本丸跡

34年前、この地に立ったはずなのですが・・・
全く思い出せない。(苦笑)

正宗像の前で記念撮影。
伊達政宗造

ずんだソフトクリームと
ずんだソフトクリーム

ずんだシェイクで休憩。
ずんだシェイク

帰りは、詰門跡のバス停まで戻り
るーぷるバスで
ホテル近くまで帰りました。
るーぷるバス

みんなでお寿司を堪能し解散。
最後の午後は自由行動になりました。

私はと言うと・・・
テレビ映画を見て、その後仮眠。
さすがに疲れ果てました。(>_<)

旅行最後の夜は、山形のお店に。
しゃぶしゃぶが美味しかったな~

 

翌日、新幹線で仙台駅から東京駅に。
新幹線

駅弁はやっぱり、牛たん弁当!
おやつに萩の月を購入しました。
駅弁

最終便で八丈島に。
八丈島に

こうして、
今回の旅行も終了しました!
梅雨前の旅行は、天候に恵まれ
湿度もなく最高でしたね。

南三陸町で目にしたのは、まだ終わっていない現実でした。旅行(5)

今日も朝一番、冷蔵庫&冷凍庫の温度表示を確認し
一日をスタートしたのですが、2時間後・・・

予備用冷蔵庫を見てびっくり。
何と表示温度は、15度。

冷蔵庫

ガスが抜けたのかな~
と思い、業者さんに連絡。
すぐに来てもらい
いつものようにガスを入れてもらったのですが

「あっ、今、カチャって聞こえなかった?ほら。」
耳を澄ませ、聞いてみると
カチャ!
「してる。」

「固着だな~一度止めて冷ましてからみるわ!」
と3時間ほど冷蔵庫を止めることに。

で、再び稼働してみたのですが
「ダメだあの。」
「修理は?」
「外に機械を設けてみようと思ったけど三相しかなっけだら。」
「買った方が安い?」
「う~ん、30万くらいするかな。」
「あっ~相談して見る。」
「とりあえずメーカーに聞いてみ。機械あるかどうか。」

で、メーカーに問い合わせ中。
返事待ちです。(>_<)

 

で、連絡きました~

症状を説明すると
「う~ん、コンプレッサーですね。」
「やっぱり。」

「17年、使用していますからね~」
「えっ~」
「修理してもない部品とか、直しても他が壊れてくるとか・・・」
「在庫はあります?」

「あっ、コンプレッサー1台だけありました。」
「おいくらくらいですか?」
「3万円くらいですが、改造するのでその他の部品代5万円くらい。それにそちらに伺う旅費に工具運賃・・・」
「ですよね。」

購入時の価格を調べたら、約60万円。
新規に購入するのも、修理するのも
諦めることにしました。(>_<)

 

さて、こちらは諦めずに今日もご紹介しますね。
平泉から南三陸町に向かい事になりました!(^O^)

6月6日(水)午後

平泉から山中を走ること1時間半。
突然開けたと思ったら、そこはショベルカーが動きトラックが走り回り・・・
言葉になりませんでした。

工事

「震災は何も終わっていない。」
そう教えてくれたのは、3月に八丈富士を一緒に登った
Sさんでしたね。

まさに今、その光景を目の当たりにし
「まだ何も始まっていない。」
そう思いました。

南三陸さんさん商店街に車を止め
南三陸さんさん商店街

ふと目にとまった写真がこちら。
震災あと

~けっして忘れないために そして後世に伝えるために~
と書かれた文字は、何よりも重かった。

 

そして目を、工事現場に向けると
「あっ、」
防災対策庁舎

足下の土地を、10mかさ上げしたため
上部3mしか見えませんでしたが、それはまぎれもなく
あの庁舎でした。
庁舎

「ここが・・・」

万感の思いと悔しさと。
あの時流れたテレビの映像が、目の前で再生されていました。
もし・・・

こんな時
もしという言葉を使ってはいけないのでしょうが
もし、もう少し高台に移動していたら。
そう思わずにはいられませんでしたね。

 

庁舎脇のかさ上げは今でも行われており、
かさ上げ

海から繋がる護岸工事もご覧の通り。
護岸工事
真っ最中でした。

 

私たちが今ここでできるのは
さんさん商店街で食事をすること・・・
三陸海岸で育った海の幸を堪能しました。
三食丼

商店街を巡り
タコとモアイ

震災のことを、今一度胸に納め
写真

南三陸町をあとにしました。

 

その夜は、ホテル近くの 仙台ろばた料理「縁側」に。
縁側

選んだ理由は、前日
パンフレットを頂いたこと。(苦笑)

予約をしていなかったため
コース料理を食べられませんでしたが
好きなものを食べることができましたね。

楽しく飲ませて頂きありがとね!
縁側

 

あっ、
「震災は何も終わっていない。」と
教えてくれたSさんが書いてくれた記事が掲載されました。

● 岳人6月号
「しま山百選 八丈島八丈富士」です。
当店も紹介されていますので、ぜひご覧下さいね。(苦笑)

実は・・・
Sさんと一緒に八丈富士に登ったものの
自分が掲載されるとは思わず、見てびっくりしました。

日本各地を巡るSさん。
アイランダーの出会いを気に、
触れ合う人と人との出会いに感謝です。

世界遺産三日連続の旅は平泉へ。旅行(4)

昨日から、
新しいノートパソコンの設定を始めました。

今のパソコン設定は楽々。
なんて思てったら、
「マイクロソフトアカウントにログイン」しなさいと?
なんだこれ?

更に、オフィスを開き
プロダクトキーを入れると
「すでに使用されています。新しいプロダクトキーを入れるか・・・」
「えっ~そんなバカな。」

再起動して、試すこと3回。

さすがに観念して、
エラーを検索すると
不正使用さている場合があるとのこと。

早速、DELLに問い合わせ確認すると
「販売元は、マイクロソフトなのでそちらに電話して下さい。」
とのこと。

教えて頂いた番号に電話をすると、自動音声ガイドで
次々に問い合わせ内容を選択するよう指示されるのですが・・・
よくわからず、最後はワードでいいや~

待つこと数分。
事情を説明すると、
「オフィス初回時にプロダクトキーの書き込みができないと言うことですね。」
「はい。」
「担当が違うので、回しますね。その前に問い合わせ番号は・・・」

しばらくすると、違う担当の方が。
問い合わせ番号を告げ、指示されるがままにキー操作すると
なんと!
マイクロソフトの私のアカウントに入り
更に更に目の前にあるノートパソコンの遠隔操作が始まりました。

うそ・・・
こんな簡単に遠隔操作されると
怖いんだけど。(>_<)

ワードが開かれ、
「あっ、大丈夫です。」
なぜか、すでに承認されており問題ないと。
「えっ。」
この時間、何だったんだ。(>_<)

それにしても遠隔操作。
パソコンには余計なものは保存できないと
改めて認識しました。

 

では、今日も旅行日記の続きを紹介しますね。(^O^)

6月6日(水)
旅行三日目。
こんなに天候に恵まれた旅行も珍しいですね。

今日も9時集合。
ホテルからすぐ脇の駐車場に向かい出発。
「電話番号わかります?」
「観光協会で大丈夫?」
「はい。じゃあ行きます!」

栃木県・日光東照宮、群馬県・富岡製糸場と続いた
世界遺産の旅は、いよいよ三日目。
今日は、岩手県・平泉です。(^O^)

 

東北自動車道ICに向かい走りはじめると
「あれ、昨日と道が違う。」
「昨日、こんなに遠くなかったよね?」
「北に向かっているからじゃない。」

そこで、今回初めて一緒に同行したtくんが
「グーグルナビだと・・・」

なんと、ホテルの部屋に置いてあった
無料スマホHandyを手に、ナビを始めました。(苦笑)

これがとても正確で、カーナビより新しい情報が。

 

北上する事2時間。
11時頃、平泉に到着しました。
駐車場から杉並木を抜け
杉並木

最初に見学したのは、藤原家四代が眠る金色堂。
金色堂

11世紀末から奥州を統一した藤原氏。
初代清衡(きよひら)が基礎を築き
二代基衡(もとひら)が勢力を拡大し
三代秀衡(ひでひら)が朝廷から鎮守府将軍・陸奥守に任じられ
四代泰衡(やすひら)が源頼朝に滅ぼされ滅亡

金や名馬の産地として、交易で巨額の富を得「黄金文化」と称されました。

そんな金色堂前にて一枚。
金色堂前にて

 

松尾芭蕉の
「五月雨の降り残してや光り堂」は誰もが知っていますね。
そんな芭蕉さん像の前に立っていると
「隣に立っても大丈夫ですよ。」
とガイドさんが。(苦笑)

そう言われると
立たないといけない気分に。(>_<)
松尾芭蕉と

「見世物になってますよ。」(笑)

その隣にあるのは旧覆堂。
旧覆堂

鎌倉時代、金色堂を覆い風雪から守っていたそうで
新覆堂建築に伴い、1965年現在の場所に移築しました。

 

その先にある峯薬師堂のたたずまいは、素敵でしたね。
峯薬師堂

そして中尊寺本堂を見学。線香の香りが体中に・・・(>_<)
本堂

 

車でほんの少し移動すると、毛越寺に到着。
毛越寺

こちらも世界遺産ですね。
毛越寺は、二代基衡により整備され、三代秀衡の時に完成。
最盛期には中尊寺をしのぐほどの規模だったと言われています。

池の正面には、何も見えませんが
当時はお堂や塔が40以上もあり、お坊さんが生活する建物が500以上あったそうです。
庭園

当時の様子が描かれてました。
絵図

金堂の前には、東西約180m、南北約90mの大泉が池を配し
池中央の中島から南大門側と金堂側に橋が架けられていたそうです。

賑やかだったのでしょうね。

それにしても、
藤原家が源義経を先頭に押し出していたら・・・
時代は変わっていたでしょうね。(>_<)

 

これで、栃木、群馬、岩手と世界遺産三日連続の旅は終了。
こんなに歩いて、写真を撮った旅行はこれまでなかったですね。

みんなで行き始めた旅行で、
世界遺産(文化遺産17、自然遺産4)に行ったのは、

姫路城(兵庫県)
白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜県・富山県)
原爆ドーム(広島県)
厳島神社(広島県)
日光の社寺(栃木県)
琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄県)
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-(岩手県)
富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(山口県・鹿児島県・静岡県・岩手県・佐賀県・長崎県・福岡県・熊本県)

最後の「明治日本の・・・」で行ったのは、今年1月の軍艦島(長崎県)。
これで世界遺産登録21箇所の内、9箇所に行くことができました。

どれも思い出深いのですが、
二度目のトライで上陸できた軍艦島は特に記憶鮮明ですね。(苦笑)

 

仙台に帰る途中、
「南三陸に行くか~」

震災で被害を受けた南三陸町に向かうことにしました。

二日続けて世界遺産への旅は、富岡製糸場へ!旅行(3)

台風5号接近中ですね。
お昼前後には、八丈島の南側を通過する予報です。

今のところ、
飛行機一、二便と定期船は欠航に。
通行止め箇所も多いのですが、雨量的には梅雨の雨より少ないかも・・・
しかも、
台風の北側に位置するので、当店は風もあたらず静か。
ひたすら通過を待つ感じです。

待つと言えば、
昨日、クロネコヤマトさんから
「おさださ~ん!」
「台風なのに大変だね。」
「今は、(雨)やんでるから~」(笑)

送り主を見ると
この春就職した末っ子ケイからでした。

「ケイから荷物届いてるよ。」
と妻に連絡すると、
「なんだろ~」

開封すると、
「あら~これは大変!写真撮らないと~」(^O^)
プレゼント

袋を開けると
「あっ、これ高かったろうに~」
「すぐ使えないね。」
「帰ってきたときかな~」

新社会人として、最初の贈り物でした!(^O^)

 

さてさて、今日も旅行日記紹介しますね。
今日は二日目です。

6月5日(火)

昨夜は外出する場所もなかったので
21時までのバイキングで終了。

ゆっくり温泉につかり、のんびり過ごしました。
実は、卓球コーナーありましたが
「30分、千円だって。」(>_<)
せめて一時間なら、汗をかいても良かったのですが
30分ではね・・・

翌朝、5時に起床し 温泉に行くことに。
地下まで降りてから、
「どうせなら露天風呂にしようか?」
と、再び上昇。

あさやホテルの露天風呂は、男女が夜と朝交代するそうで
一泊で二度楽しめます。

 

朝日が昇る気配の方角を見ていると
「あっ、ひこうき雲。」
誰も反応せず、みんな見慣れているのかな・・・

まっすぐ延びる雲を追いながら
「どっちの方角に飛んでいるのかな~」

よくよく考えると、朝日が昇ってきそうな
東の空から飛んできたので、西の方に向かってる?

となりの方に聞くと
「成田方面から、北海道の方に向かってる(?)」
とのこと。
山の中の方角は全くわからない。(>_<)

この時期と紅葉の時期は最高で、積雪の頃は
道路が怖いので来ないとのお話しでしたね。

 

7時10分ほど前に朝食会場に。
10名ほど並んでおり、予定よりも5分早く開場。

早めでしたので、料理近くの席を取り
朝食を選んでいると
「おっ、早そ~いつもはゆっくりどおに。」(笑)

そう言えば~(苦笑)
昨夜は、先月までの疲れがとれず
生ビールもジョッキ半分くらいで、「苦い・・・」
と。

歩き疲れた以外はのんびり休めたので
朝も早かったですね。

 

9時前には集合。
「どこに行きましょうか?」
「富岡製糸場?」
「富岡製糸場までは2時間くらいかかりそう。そこから仙台まで4時間はかかるので夕方になりますよ。」

と言う話しでしたが
他には声もなく、カーナビ設定を。

「来た道を戻ります!」
なんと昨日来た東北自動車道を一時間ほど戻り、
そこから北陸自動車に乗り換え群馬に。

「群馬の向こう側(日本海側)って?」
「長野、新潟。」
「えっ~」
移動距離にびっくり。

 

富岡製糸場に到着したのは、11時頃でしたね。
富岡製糸場

富岡製糸場は、1872年(明治5年)設立。
近代化のため明治政府が力を注いだ日本初の器械製糸工場。
2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」では井上真央さんが主演をつとめましたね。

そんな富岡製糸場は1891年(明治24年)6月からは三井財閥のもとで民営化されます。
そう、朝ドラ「あさが来た」の主演・波瑠さんのモデル広岡朝子の実家です。

工場内に入ると明治時代が浮かび上がってくるようでした。
工場内
柱のない構造は、長さなんと140m。
当時は電気も無かったため、窓を多くもうけ
建物の方向も光が入るよう工夫されていました。

フランスからの技術を取り入れ、日本風に改良。
20世紀初頭、日本は世界一の生糸輸出国になります。

高級でした絹を、誰でも手にできるものにした
富岡製糸場の役割は大きかったですね。

 

現在もほぼ変わらぬ当時の姿で残されている富岡製糸場は、
2014年6月には世界遺産に登録されました。
登録碑

一応記念撮影も。(笑)
お富ちゃんと

国指定

見学に来られる年齢層はご年配の方が多く見られましたね。

お昼過ぎには、富岡製糸場を出発。
仙台に向け、再び、北陸自動車道、東北自動車道を
駆け抜けました。

 

16時過ぎには、仙台に到着。
三日間お世話になったホテルはこちら。
ホテル

中心アーケードのすぐ脇にあり、
仙台駅まで10分弱と、とても立地条件の良いホテルでした。

一時間ほど余裕があったので
仙台駅まで行ってお土産を購入し発送。

帰宅すると集合時間15分前でしたので
そのままロビーで、無料の炊きたてコーヒーを。
飲み放題でしたので、毎日利用させて頂きました。

 

で、晩ごはんは、
もちろん!
仙台と言えば、牛たんですね。

分厚い牛たんで有名な、牛たん炭焼利久店へ。
利休

単品で最初に頼んだのが、牛たん「極み」
極み

身の柔らかさは絶品!
もちろん通常の牛たんも美味しかったのですが、最初に食べた極みは
今回の旅行で一番の「極み」でした。(^O^)

夜は、お世話になった方に葉書を書き二日目の夜を終えました。
絵はがき

二日続けて世界遺産なんて・・・
びっくりですね。

日光東照宮から鬼怒川温泉に。旅行(2)

今日は雨。
朝5時には、ほとんど気にならない小雨でしたが
7時を過ぎると雨音が。
これから台風が通過する明日のお昼頃まで
雨のようですね。

ちなみに今日の船は底土港に到着予定。
飛行機も一便は向かってきているようです。

飛行機と言えば、
今日は羽田空港からの旅行一日目(続編)を紹介しますね。

 

6月4日(月)
羽田空港に到着。
いつもなら乗り換えのため出発ロビーに向かうのですが
「何だか変な気分。」
到着ロビーでは、すでにT君が迎えに来ていました。

あとをついて行くと、エレベーターに乗り駐車場へ。
「(羽田の)駐車場、わけわからない。」(>_<)
「わかりんなっきゃの。」

私には、東京で車を運転すること自体無理なので
すでに異空間でした。(苦笑)

「どこ行きます?まだ決めていませんけど。」
「日光東照宮にいけたら・・・」
「あっ~じゃあ、行きますか。」

こんな感じで今回の旅行もスタートしましたね。
宇都宮のドライブインで昼食をとり
「やっぱり餃子なんだ~」
と話しつつ、一路日光東照宮へ。

今回の車は、こちら。
レンタカー

トヨタ車でしたね。
中は広く、足下余裕。
エンジン音も低く、燃費も最高。
カーナビは、グーグルマップにかないませんでしたが
こちらの話しは後ほど紹介しますね。

 

13時20分くらいに、日光東照宮に到着。
坂道を登りおえ、宝物館前を抜けると
突然、人が増えました。
小学生からお年寄りまで、
&海外の方まで
幅広い観光客層に驚きました。

向かう先には、黒田長政が奉納した石鳥居が見えてきました。
石鳥居

石材は、なんと九州から船と人力で運んだそうです。
当時(1618年)としては大変だったでしょうね。

鳥居を抜けると、左手に五重塔が。
五重塔

こちらは、酒井忠勝が1650年に奉納しましたが
火災に遭い、1818年酒井忠進が再建したそうです。

表門を抜け、上神庫・中神庫・下神庫の総称「三神庫」の前を通ります。
三神庫

上神庫の屋根下を覗くと、狩野探幽下絵の「想像の象」が見えました。
上神庫

更に進むと、あの有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の
神厩舎・三猿が。
神厩舎・三猿

さすがに立ち止まる方、多かったですね。

海外の方も多く、スマホで撮影する方の前を
前屈みで通ると
「たか~身長が高けんて平気だら~」
「たしかに~」(笑)

 

そして、
日本を代表する最も美しい門と言われる国宝「陽明門」が!
陽明門
いつまで見ても見飽きないところから「日暮の門」
とも呼ばれているそうです。

陽明門を抜けると、正面に全体を胡粉で白く塗られた
国宝「唐門」の姿が。
 唐門

圧倒される中、
人の流れは右方向に。(先にまっすぐ行くべきでした・・・その訳はあとで)

結婚式や初宮などのご祈祷が行われる祈祷殿の前を通ると
右方向に

そうです!あの有名な、「眠り猫」です。(笑)
眠り猫

みなさんには怒って見えますか?
うたた寝しているように見えますか?

眠り猫の下をくぐると、これから先は奥宮に通じます。

 

杉に囲まれた廻廊を通り、
廻廊

突き当たりを左折すると、207段の石段を登ります。
急な石段ですが、階段一段一段は一枚岩でできてるそうです。
寒さの厳しい日光の、冬の凍て上がり防止と考えられています。
石段

そして、登りきると
将軍のみが昇殿参拝を許されたという奥社拝殿がありました。
奥社拝殿

奥社拝殿の横を回ると、ようやく奥社宝塔に到着。
奥社宝塔

徳川家康のお墓ですね。
当初は木造だったそうですが、その後石像に。
1683年の地震で破損したため、現在の唐銅製に作り替えられたそうです。

で、今、気がついたんです。
東照宮の最も重要な所と言われる
国宝「御本社」を見ないで降りたことを。

右に曲がらなければ・・・仕方ないですね。(>_<)

 

その後、宿泊先の鬼怒川温泉に向け出発!
久しぶりの車移動でしたが、
思った以上に快適で一日目の移動を終えました。

宿は、パイプオルガンがとても印象的な
パイプオルガン

あさやホテルでした。
あさや

近くには、古い釣り橋「滝見橋」が。
滝見橋

一度に渡れるのは30人までとか。
ホント揺れる橋でした。
吊り橋上から

しばらく歩くと、足湯「鬼怒子の湯」に。
そこに飾られた「鬼怒川温泉のあゆみ」写真には
昭和初期に発展し初め、20年代ころ大きな旅館やホテルが見られた
当時の写真がありました。
昭和初期

現在は、廃止したホテルが多く見られ
ちょっと寂しい感じがしましたね。

 

宿泊した、あさやホテルは
とっても大きくて、温泉も広く、露天風呂も。
特に料理は種類多く、これまで宿泊したホテルとは比較できないほど圧巻でした!
なんと、バイキングの宿大賞にも選ばれた自慢のブッフェだそうです。
自分の料理を撮影すると
バイキング

脂ものばかり。(苦笑)
もちろん、このあと鮎の塩焼きや
ステーキ等々テーブル一杯に。
Tくん持参のデザートは、アイスクリーム、ケーキ等々ご覧の通り!
デザートも
おなか一杯になりました。

実はこの時、世界遺産の旅が続くとは・・・
考えてもいませんでした。(苦笑)

6月の旅は、国宝の旅でした。旅行(1)

湿度すごいですね。
今日の湿度は、昨日の76%を上回る94%。
ちなみに、昨日までいた仙台の湿度は43%。
半分以下~(>_<)

東北と八丈島の違いを「実」体験中です。(苦笑)

今日は朝一番から送り状の印刷を。
荷造り発送を終え、
「視界不良」のため調査中でした飛行状況を待ちました。

天候調査の結果、通常就航となりホッ。
台風前に無事お届けできそうで安心しました。

さて、今日から旅行日記を紹介しますね。

 

6月4日(月)
朝、八丈島空港に着くと、
なぜか知り合いの方が多く~
歓送迎会でお世話になったお店の方や
同級生、八高の先生、お客様、後輩等々。

梅雨前だからでしょうか?
本当に多かったです。

 

飛行機に乗ると、
「翼の王国」を手に音楽を。
まずは、「ごあいさつ」のページを読み
旅の気分が始まります。

旅のテーマに目を通し
吉田修一「空の冒険」まで行き着くと
自分自身が主人公になっていますね。(笑)

今回のテーマは「カンジノイイマチ」

英語かと思いましたら、
「感じのいい町」でした。(苦笑)

カタカナにすると、こんなに雰囲気が違うのですね。

台湾に行くと、地元の方が優しく
「誰かに親切にしたくなる」というお話しでした。

 

ティビティビ タブタブ Ran drops fallin’ on my heart
ティビティビ タブタブ Ran drops fallin’ on my heart

「えっ!」
流れてきた音楽にびっくり。
1981年にリリースされた、山下久美子。
「雨の日は家にいて」
でした。

「懐かしい。学生の時以来聞いていなかったな~」

突然、学生時代のことが鮮明に思い出され
これから向かう「仙台」との巡り合わせを
感じずにはいられませんでした。

 

私が初めて仙台を訪れたのは
大学4年生。
東北大学で行われた水産学会。
研究室のみんなと、先輩の発表を聞きに行きましたね。

それから、卒業後の3月だったでしょうか?
アワビのプラント会社でした「(株)技研工商」にて
取水ポンプや、ブロワー、急速濾過器等学びました。

そうそう、岩手県の栽培センターで
アワビの飼育作業も一週間研修させて頂きましたね。

私は、技研工商の社員ではなかったのですが・・・(苦笑)
同級生二人の入社前研修に同席し、一緒に教えて頂きました。

社会人として、学びのスタートはここからでしたね。

 

そんなことが、走馬燈のように思い出され
気がつくと、梅雨空の八丈島から
青空の羽田空港に着いていました。

羽田空港

いよいよ半年ぶりの旅がスタートしますよ。^^

軍艦島も、やっぱり子供達が一番だったのですね。

今日も寒いですね。
旅行から帰宅して4日目。
ようやく朝まで寝ることができ、今日は久しぶりに快適です。

最後となったPTA新聞の原稿下書きも終え
だいぶ頭もすっきりしてきました。

昨日書いた旅行の日記を読み返しながら
いろいろと思い出してきました。

 

軍艦島ミュージアムでは
「いつ頃が石炭の最盛期だったのですか?」
との問いに
「41年 約41万トン。」
と教えて頂きました。

バカな私は、昭和41年と勘違いし
「閉山したのが昭和49年(1974年)なので、まもなくだったんだ~」
と大勘違い。(苦笑)

最盛期は、太平洋戦争が勃発した1941年でした。
1972年には、戦後では最多の35t生産されましたが
それ以後需要の低迷で、1974年1月15日閉山となります。

軍艦島の発展は、
1890年、三菱が旧肥前藩の領主鍋島氏から採掘権を買い取ったことから始まります。
それまで炭鉱生産は上手く行っていませんでしたが
1916年には日本初の鉄筋アパートを建設。
その後も7階、9階の高層ビルが建設され
1960年には、5,267人が住みました。
当時、世界一の人口密度で、東京の9倍とも言われたそうです。

 

給料が良かったので白物家電は各家庭に揃えられ
テレビ普及率10%の時代に、ほぼ100%だったそうです。

そうそう、ツアースタッフさんの説明では
「当時公務員の給料が2~3万円の時代、
課長クラスは月50~60万円もらっていたそうです。
と説明したら、
先日、病院の先生をやっていらした方から
『月100万円もらっていました。』
と教えられました。」
と。(苦笑)

 

そんな軍艦島が衰退したのは
エネルギーが、石炭から石油に転換されたからです。

閉山が決まった、1月15日からわずか三ヶ月後の4月20日には
全ての住民が離れ無人島となりました。

三ヶ月という短期間に離島できたのは
三菱が、雇用者全員の次の仕事を準備した事が大きかったようです。
もちろん給料も良かったので・・・。

ミュージアムの説明では
住民には、「また戻ってくる」と言う思いもあったようです。

 

ちなみに軍艦島の、正式名は「端島」
長崎市の西約19kmに位置します。
元々は、南北に約320m、東西約120mでしたが
埋め立てられ、南北に480m、東西に160mに。

軍艦「土佐」に似ていたため、
「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。

2001年、三菱マテリアル株式会社から高島町へ譲渡され長崎市の所有に。
2008年、「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産暫定リストに追加登録されることが決まり注目されはじめる。
2008~2009年、島の中の通路整備などが行われる。
2009年4月、島への上陸が許可され、観光や見学が可能となる。

 

周囲1.2kmの島に5,267人。
どんな賑わいだったのでしょうね。

詳細

ただ労働環境は最悪で
地下631mまで毎秒8mで降りるエレベータでおり
そこから更に下って、地上から約1km下で採掘したそうです。

気温30度、湿度95%。サウナの中ですね。(>_<)

一度降りたら、休憩時間も昼食も同じ場所。
お弁当のふたを開けると、真っ白なご飯が真っ黒に染まっていくので
ふたを開けると黒くなる前に食べてしまったそうです。

そんな環境だからこそでしょうか
子供達には日を浴びて欲しいと
小中学校は、太陽が当たる方向に建設されたそうです。

端島小中学校

いつの時代も、子供達が第一なんですね。

そんな学校方面。
貯炭ベルトコンベヤーのある方向に、新たな見学コースの設置が決まったそうです。
見学コース

こちらの方角ですね。
新たな見学コース予定

また行く機会があったときの楽しみにしたいと思います。

大時化の中、軍艦島に上陸できました!(^O^)

今日は日曜日!
旅行から一週間たったのですね。

旅行内容をまとめてみましたので
ご紹介しますね。
1月21日(日)
八丈島から別府までは、こちらです。

1月21日(日)夕方
地獄巡りを終え、亀の井ホテルへ到着。
亀の井ホテル

知らずに宿泊したのですが
オーナーの油屋熊八さんは、別府を湯の町にした方だったのですね。
油屋熊八

油屋さんが全国に別府を宣伝した名言
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」
は、思わず「あっ~」と頷いてしまいました。

商店街にはこんな写真も
当時の写真

この他にも地獄巡りに女性バスガイドをもちいる等
アイデア優れた方だったようです。

ホテルの夕食を終え、
バイキング

 

タクシーでGくんのお店「夜カフェ10」に向かいました。
外から覗くと、糸永衣里さんの貸し切りライブが行われてました。

しばらく近所を散策し、再びお店を覗くと
「アンコールみたい。」
そんな時、
「あっ~」

Gくんにばれちゃった~(苦笑)
「中入って!」

ちゃっかり糸永さんの演奏を聴くことができました。

ライブ後、店内の片付けを終えると
ほんの少し糸永さんとお話しする機会を頂き
ミクママ曰く
「バイオリンですか?少し音が・・・」
「ヴィオラです。」
「やっぱり!」
音楽無知の私にはさっぱり。(笑)

 

そんな忙しい中、Gくんとお話しすることができました。
とっても素敵なお店で!
夜カフェ10

お店に入ると
店内

中も広くてびっくり。
「こんなはずじゃ無かったんですが~」
なんて、Gくん。
「駐車場も広いわけだね~」
と話すと、
「ここら辺りの方は車が無いと。」
「そうなんだ~」

お店が開店したときから務めてくれてるスタッフさんや
八丈にも来たことある同級生みんなと一枚。
みんなで

初めは誰だっけかな~
と思いながら
そう言えば、「Gくんに言われてきました~」
って当店に顔を出したのは~(^O^)

そんなことを思い出しながら
Gくんのお話をたくさん聞くことができました。

 

私とGくんは、ケーススタディと言って
実際におきた起業会社の経営方法をモデルに
ディスカッションする授業を半年間学びました。

ですからこの三年間、Gくんがお店を営業し
失敗や成功のお話が、まさに授業事例のようで・・・

大変だったんだな~
と。

深夜0時までの営業なので、帰宅は
「今は午前2時には帰れるかな~」
帰宅してから経理の仕事があり
寝るのは4時頃とか。(>_<)
私には考えられないですね。

そんなGくんに送ってもらってホテルに。
玄関正面にエレベ-ターがあるのですが・・・
Gくんたち、玄関の外から
エレベーターの扉が閉まるまで手を振ってくれました。(>_<)

あれからお店を片付けたと思うと申し訳なかったです。
ありがとね。

 

1月22日(月)
翌22日は、門司経由博多です。
青空がくもりになり、更に雪の舞う峠を越えて
雪!

なんとか門司に到着。
「お昼どこにする?」
「ここでいいんじゃない。」
と気軽に入ったお店がこちら。
ファンキータイガーカリビアン

中に入ってから「ロバート秋山のお店だって。」
「えっ~」

お父さんがオーナーをしているお店で焼きカレーが評判のお店でした!
焼きカレー

熱くて、熱くて。(苦笑)
でも、とっても美味しかったです。

その後、関門橋(山口県下関市と北九州市門司区を結ぶ全長1.068mの吊り橋。)
で休憩。
関門橋
対岸まで780mある海底人道トンネルもあるそうで・・・
暖かければ挑戦したのですが
「寒けんてよっきゃの。」と。(>_<)

博多のホテルに向かい南下。夕方到着しました。
明日は、2年前時化のため乗船できなかった軍艦島ツアー。
「今晩は早めに・・・」
と、中州の夜は早々に帰宅し明日に備えました。(^O^)

 

1月23日(火)
翌23日は、朝8時半前に出発。
順調ですと2時間ほどで到着するのですが、雪の心配もあり
早めに出発しました。

昨日同様青空がくもりになり、ちょっと心配しましたが
長崎に入ると青空も。
長崎
無事2時間で到着することができました。

到着時のお話しはこちらです。

 

「そろそろ(上船場に)行きますか。」
と港に向かいます。
軍艦島ミュージアムから歩くこと数分。船乗り場に到着。
雪が舞いはじめ、空気が冷たかったですね。

赤い服を着たスタッフの方達が
「今日は冷たいので、出発ギリギリまで室内で待って下さい。」
とのこと。

売店兼待合室で、30分ほど待ちました。
「すみません。まだのようなので・・・ツアーとは関係ないのですが
あちらに見えるバハマの船は、6000人乗りで。」
とスタッフの方がお話し始めました。

狭い待合室。椅子も無く並んで立たされていましたので
みなさん、ホッとした様子に。

予定の25分を10分?15分ほどまわった頃でしょうか?
待ちに待った乗船が決定!(^O^)

 

スタッフさんの挨拶が始まると
「日本人の方は本当に素晴らしいです。私、海外の添乗員を務めていましたが
誰一人文句も言わずにずっと待っていて下さる。本当に素晴らしいです。」
と。

ちなみに、先ほど紹介した大型船。
15時出航予定でしたが、16時過ぎてもまだ停船中。
ポー
と、汽笛が鳴っても
たくさんの方が荷物を持って道路を歩いていました。(>_<)

国民性って、やっぱりあるのですね。

走り始めた船は、外港を出ると
波
波の方が窓より高くなりました。

「軍艦島に着くかどうかは、船長の判断です。」
とのことでした。

他のツアー船、2社は欠航に。
どうなるのかな~
と思いつつ、大時化のなか寝てしまい・・・(苦笑)

 

気がつくと
軍艦島に船が!

軍艦島に船が見えました!
「あそこに着くのかな?」

しばらくすると、停泊していた船が出航。
私たちの船が接岸します。

大揺れの中、横付け。
ロープをつけに行った船員が
「あっ!危ない!」
なんと、コンクリートと船に挟まれ
びっくり。
「挟まれたよね・・・」
一瞬でしたが、怪我も無く良かったです。

そんな、船員さんの様子がツアー会社さんのビデオで紹介されてました。
船内からよく見えませんでしたが、こうやって軍艦島にロープを着けてたのですね。
時化てるときは危ないはずだ。(>_<)

体を張ってくれた船員さんのおかげで
無事、軍艦島に上陸できました。
上陸

 

広場に着き説明を聞きながら、
説明

写真を撮りました。
軍艦島

地下約1km下で石炭を掘っていたそうです。

私たちが着いた軍艦島の詳細がこちら
詳細

島の中央辺りに飛び出した港に着き、画面左端の方に歩いて行きました。

その先端で、スタッフの方にとって頂いたのがこちら。
みんなで

実はカメラを渡したとき、私の指にカメラのひもが引っかかり
あっ!
その時、傷ついたのがこちら
傷

軍艦島の傷なんて、ちょっと良い想い出になりました。(^O^)

帰りの船では、船上部の外にも出られると言うことで
強風の中、撮ってきました!
軍艦島

ちなみにどれくらい揺れてたかというと
潮風と揺れで
つかまっていないと倒れるくらい強風と揺れで大変でした。(苦笑)

初めての軍艦島。
大時化と、寒気に包まれ
とても想い出になりましたね。

ちなみに私が参加したツアー会社は、軍艦島コンシェルジュ
スタッフさんのお話では
5回連続、上陸できなかった人もいれば
9回も上陸ツアーに参加している方もいるとか。

ツアー会社によって、上陸率も異なるそうですよ。
もちろん、コンシェルジュさんは上陸率高い会社でした。(^O^)

 

1月24日(水)
長崎二日目。
いつもなら自由行動日ですが
今回はみんなで平和記念公園に。
平和祈念像

更に諫早湾を横目に島原まで足を伸ばし
島原城

島原城に行ってきました。
入り口にて

 

長崎市内に戻り、夕方は自由行動。
2年前行けなかった出島に行ってきました。
出島

人も少なかったので、パソコンでゆっくり出島の勉強をできましたね。
パソコン画面で

更に大型のモニターでも勉強。迫力がありとてもわかりやすかったです。
モニターで

 

1月25日(木)
最終日は移動日。
長崎空港から羽田経由八丈島に。
移動の様子は、こちらです。

今回の旅行は、日本全国寒気に見舞われ
心配されましたが、移動もスムーズで
良かったです。

何より軍艦島にも上陸できたのが
一番の思い出でした。
スタッフのNさんから
「エネルギー政策転換で、この様になった軍艦島の姿を
特に若い人たちには見て欲しいです。」
と訴えられた言葉は、心に響きました。

また、出島も詳しく勉強でき
軍艦島と出島の対比も自分の中ではよい勉強になりました。

そうそう、Gくんとの再会は忘れられない思い出に。
各お土産屋さんの
値段設定や商品の見せ方なども良い参考になりましたね。

今回の旅行で学んだ事を今後に活かしたいと思います。

地獄巡りには、罠がありました。(苦笑)

今日も寒いですね。
昨日の最低気温は0.9度。
雪も積もるはずですね。

今日の最低気温は午前0時30分の3.2度ですから
ほんの少しずつ暖かくなっているようです。
と言っても最高気温は、午前12時48分7.7度。

テレビでは、
今季全国最低温度は昨日北海道喜茂別町で観測された-31.3度ですから
それに比べると恥ずかしいくらいですね。(>_<)

 

都内では水道管凍結の報道が。

私が北海道に引っ越した当初は
それほど気温が下がらないときには
水を少し出していましたね。

-20℃以下予報の時は、元栓を閉めて
水道管内を空にして寝ました。

そんなことをしながらも、
何年かに一回は水道管を凍結させてしまい水道屋さんに。
熱をバチンと通す道具でなおしてもらいました。

あっ、
一度だけアパートの水道管を破裂させたことも。(苦笑)
帰宅すると部屋が水浸しで驚きました。

懐かしい思い出です。
今は、水道管が凍結しないよう工夫されていると思います。

 

そんな朝、
昨日までの九州を考えると、八丈はまだ暖かく~
5時頃目は覚めましたが、6時になってから活動開始。

ご注文伝票の印刷をはじめ、メールの返信等々を
行いました。
商品梱包、発送まで一段落し
「旅行の写真、印刷しようかな。」

何枚かセレクトし、印刷。
フォトフレームに入れ、「行ってくるわ!」
フォトフレーム

R兄ちゃんちに行くと
「早そ!」
「暇だから。」(笑)
「福岡のラーメンが届いた~飛行機で来とうだあの。船は欠航だろ。」
「そう。大分の荷物届かないもん。」
「だろ~」

何と定期船は3日続けて欠航後、今日は三宅島まで来ましたが
引き返し欠航に。

旅行初日に買った商品よりも、早く帰宅するなんて
これまで初めて。(>_<)

とりあえず、ケイの分は
持ってきて良かったです。
おみやげ

 

そんな旅行ですが、
1月21日(日)、朝一便で羽田空港に向かいました。
たまたま駐車場も出口近くに止めることができ
「良かったね。」
なんて話していたのですが~

荷物を預けて、中に入ろうとすると
「携帯忘れたかも。」
とミクママ。
「すぐ取りに帰れば間に合うのに。」
「いや、別に無ければないで!」
何だか嫌な予感。(>_<)

飛行機は無事、羽田空港に到着。
窓側席の方の鞄を棚から下ろしてあげて、
通路に立っていると
後ろにいたR兄ちゃんが
「たかひろ、免許証かあんか落ちてるぞ。」
「えっ!」
座席には後ろポケットから落ちたガラケーが。(>_<)

 

「おまえら夫婦は二人であにしょ!(なにをしてろ!)」(笑)
いつもと違うズボンでしたので、座ってる間に
落ちちゃったんですね。
これが教訓となり、今回の旅行中ガラケーはたえず鞄の中に。
そのため、ほとんど電話に出ることもなく持参する意味がありませんでしたね。

 

羽田空港では、何と一番端のゲートから
正反対の端ゲートまで歩き、ようやく到着。
「どんだけ歩いと~」
「ほんとだ!」
700m位は歩いたのかな~

初めてのソラシド航空。
以前テレビで、CAさんが自分たちで考えた地域情報を
お客様に伝えた番組を見ていたので、搭乗が楽しみでした。

で、
「えっ、音楽ないの?」
「そうみたい。」
「背もたれは柔らかいね。」
「あごのだし汁が無料みたい。」

室内は、上部の空間が広く
ブルーの光が空をイメージさせてくれ
あっという間のフライトでした。

 

そして大分空港到着。
荷物の出てくるのを待つと
「あれ見て!」
テンション高いミクママの視線先は
エビ!

「別に・・・一応撮っておけば。」(>_<)

大分空港内には、足湯もあるのですね。
足湯

すでにTくんが迎えに来てました。
「昼、食べました?」
「まだ食べてないので・・・」
「どこ行きましょう?」
「とりあえずホテルに向かうか。」

と、向かった先の途中で
急遽入ったのがこちら。
大分漁協の「別府潮騒屋」さんでした。
昼食

2階のレストランで、しらす丼を頂きました。
しらす丼

1階の販売所では、干物も安価で販売されてました。
干物

価格は、350円から600円。
「原料が安いんだろうな~」
「ですよね~」

 

「時間まだ早いですけど。」
「途中だし地獄温泉を見に行かない。」

急遽、カーナビを設定し直し
「鉄輪温泉?」
と入力。
「たかひろ、どこの温泉げ行こど~」
本を見てもよくわからなく
「鉄輪温泉しかわからない・・・」

下調べをしていなかったので、
質問の意味がよくわからなかったのですが

鉄和温泉入り口を過ぎると
次々と地獄名が。
「ここ右に入ります?」
「入り口からの距離から、ここが一番端かも。」
「あっ、そういうことか~」

入った先は「海地獄」
海地獄

鮮やかなコバルトブルーと
湯煙がすごかったですね。(苦笑)

赤い湯もありましたよ。
赤湯

とりあえず、みんなで一枚。
海地獄園内で

と言いましても、
いつものごとくH兄ちゃんの姿はなく。(笑)

温泉を利用した温室もありました。
温室

中には、大鬼蓮が。
大きくなると20kg位の小学生が乗っても大丈夫とか。
はす

こんなきれいな花も咲いてました。
花

鬼地獄を見終え、外に出ると
「あれ?」
博多に住む、Aちゃん家族が。(^O^)

R兄ちゃんが、「どこの温泉ど~」
と聞いた意味がようやくわかりました。(苦笑)

なんでも、
H兄ちゃんを脅かすため、こっそり来たそうで
「Hおじ!」と、声をかけるとびっくりしたそうです。(笑)

そんな海地獄入り口前で一枚。
海地獄外

他にも血の池地獄、竜巻地獄、白池地獄、他たくさんありましたが
今日は海地獄だけで「地獄巡り」を終え
ホテルに向かいました。

あっ、
今回のレンタカーはこちら。
レンタカー
ホンダの新車 STEPWGN。

まだ新しく、乗り心地、燃費共に
最高でした。

約600kmを走り抜け、とてもお世話になった一台でした。

今日、書き終える予定でしたが
思ったより忙しく、ここまでにしますね。

今日の最終便は「雪のため」と条件付き。到着は?

今日の最終便で無事、八丈島に帰ってきました。

と言うのも・・・
長崎のホテルをチェックアウトし、シャトルバスを待っていると
組合長に電話が。
「一便欠航だって。」
「えっ~」(>_<)

長崎空港カウンターでは、「羽田で確認して下さい。」
とのことでした。

搭乗するはずの飛行機長崎着便は、
強風のため到着が10分遅れ。

「西風だと逆風になろんて~」
なるほど。
「どうて、こっち(長崎)からの飛行機ははやけじゃ。」
確かに。

更に
「2便も欠航だって。3便はまだ。」
「これは・・・やばい。」

飛行機は10分遅れで無事就航し、羽田空港に到着。

 

乗り換えしようとすると
「搭乗手続きを中止していますので、一度外に出て下さい。」
「荷物は?」
「そのまま預かっておきます。」
あちゃ。(>_<)

搭乗案内を見ると
「雪のためだって。」
手続き中止

こんなこともあるのですね。

話しによると、
八丈島に行く途中エンジンが凍ってしまうと、
とかす機械が八丈島に無いので引き返しになる。
とか。

そうなんだ~

それでも、15時予定が10分前の14時50分に
搭乗手続きが開始され、
「良かった!」

雲の上空は、ご覧の通り。
上空

とても穏やかでしたが、
着陸態勢に入ると、機体が揺れ始め
真っ白な雲の中を通過した途端
海上は大時化。

旋回をし始め
夕日の位置が下から上に?
よくわからなくなり、
突然、八丈島が視界に入ると
海上

神湊方面から滑走路に!

八丈富士が見えた途端
「雪だ!」
着陸

ガクン!
ガガガガガー
到着できました~(^O^)

今回の旅行は、雪が心配でしたが
まさか最後の最後、地元八丈島で雪の影響を受けるとは。(苦笑)

それでも無事、行程を終え
ホッとしました。

詳しい旅行の内容は、おって報告しますね。

ちなみに、八丈高校生も
23日(火)に修学旅行に出発。
北海道に向かったそうですが、その後どうなったのかな~

気になりますね。

さて、今日はここまでにしますね。
明日から、ご注文頂きました商品
発送再開しますね。
お届けが遅くなり、申し訳ありませんでした。