お伝えしたいこと
台所からくさやの焼ける匂いが食卓まで漂ってくる。子供達は正座をし、くさやとの対峙の時を静かに待つ。皿には焼きたてのくさやが盛り付けられ、食卓におかれた。くさやから立ち上がる芳香が子供達の顔をほころばせる。子供達は、早く箸を付けたいのを我慢し、くさやとそれを仕込んだ父に感謝の合唱をする。これこそが、格のあるくさやに対し、尊敬と感謝の儀を唱える我が家の儀式なのだ。
くさやを知らない方にお伝えしたいことがある。
くさやとは八丈の大切な文化の一つであるということ。つまり、くさやを知らなくて八丈を語る無かれである。匂いから嫌だ。食べないと言うことは自由であるがくさやの歴史くらいは知ってほしい。
くさやの歴史文化
くさやの歴史をたどると古くは奈良時代までさかのぼります。静岡県の沼津に同じような液があり、くさやと命名されたのが新島のくさやであるという説が有力ですが、残念ながらその詳細は未だ定かではありません。また一説には江戸時代、耕地が少なく漁業を生活の糧にしていた島民は年貢を塩で納めていました。塩は節約しなければならず、魚の塩干しを作る塩水を捨てずに繰り返し使い続けていたそうです。すると魚の蛋白質を源に発酵がはじまり、これが代々伝わるくさや液になったとも言われています。
くさやの呼び名は、魚のことを「よ」と呼んでおり「臭い」+「魚」=「くさよ」がなまって「くさや」になった。「江戸時代、日本橋の魚河岸で命名された」などの説がありますが、その語源につきましても定かではありません。いつの時代に生まれ、いつの時代に名付けられたかよくわからないくさやですが、特徴である腐りにくい性質を島民は経験から得ていました。
くさや液の中で生活を営むくさや菌にとって湿度の高い島々は繁殖するのに最高の環境でした。それゆえ増殖速度は大変はやく、他の腐敗菌を全く寄せ付けない固有の世界を作ることができたのです。くさや菌が発酵をはじめますと魚の蛋白質や脂質が分解されます。その過程で抗菌性物質が生成され空気中から入ってくる様々な菌を分解してしまいます。これらの抗生物質は特に切り傷などの外傷によく効き、新島では風邪や下痢等の薬としても活用されました。ちなみに気になる臭いの素は、発酵の過程で生成されるアンモニア、硫黄化合物、酪酸などの成分によると考えられています。
くさやの旨みには鮮魚にのった脂肪の旨みと、発酵により作られた蛋白質系の旨みがあります。くさや液の中で分解された蛋白質は、グリシン、アラニン、グルタミン酸といった遊離アミノ酸成分となり旨みを増加させます。実はこの旨み成分がくさや液の秘密だったのです。
八丈島は伊豆諸島の中でも特に漁場に恵まれた島でした。
獲れたてのムロアジ、飛魚をさばいておろし内臓をとります。開いた魚は液の浸透をよくするため真水で洗い血抜きを行います。くさや液につけ込まれた魚は翌日取り出され、再度水洗い後、真水につけ込みます。真水につけ込むことで八丈島産くさや特有の「甘み」が生まれます。こうして製造されたくさやは艶のあるあめ色に干しあがります。
通常の干物に比べ奥深い味わいは、八丈島近海で漁獲された鮮度のよい魚と湿度の高い島の環境にマッチしたくさや菌との融合でできあがりました。未知なる歴史をもつ「くさや」。ぜひご堪能あれ。
父への想い
私は、このくさやの歴史を知らなかったころ父のしている仕事は嫌いでした。今では3Kなどと言いますが、くさやの仕事は、3Kプラス臭いのKがもう一つく。そんな仕事を継ぐのがいやで「 こんな仕事じゃ女にもてない。もっとかっこいい仕事がしたい。島は田舎だからつまらない」などと理由をつけ、
島を出て行った自分が過去にいたのです。
今思うと、なんとお詫びをしていいのか分かりません。島あればこそのくさや。そのくさやを大切に受け継いでいた父を今は本当に尊敬しています。88を過ぎた父は今も現役で、私の手本となり頑張っています。まだまだ足下にも及ばない私ですが、父から受け継ぐ大切な島の文化を守り育てていかなければ。 そして今後は、父さんが俺にしてくれたように、子供達にしっかり伝えていかなければ・・・・・」
地産地消
2008年4月23日。 伊豆諸島で、一番はじめに「緑の提灯」が灯りました。
国内産を大事に思う志から始まった「緑の提灯」運動。その運動にいち早く手を挙げたのは、食の安全を思う気持ちがあればこそ。地元紙「南海タイムス」さんに紹介されました。(2008年5月2日)
鮮魚より鮮度の良い干物
地元八丈島近海で漁獲された春飛魚、夏飛魚、そして青むろあじ。これらの魚はどれも出漁して半日後には水揚げされます。港からわずか38秒。ほんの少しアクセルを踏むとわずか34秒。港からの坂道を駆け上がると、そこはもう加工場だ。究極の鮮度自慢は、ここから始まる。魚屋さんに売られている飛魚を見たことがあるだろうか?ぜひ飛魚のお腹を見て欲しい。
弾けるように真っ白なお腹が見えましたか。飛魚は漁獲から時間が経過すると、心臓の血が腹部へと流れます。そのため、飛魚のお腹は徐々に赤く染まっていきます。お刺身に購入した飛魚、お腹に赤い筋が入っていませんか?当店で製造中の春飛魚を見て、お客様は言います。
「干物にするのがもったいない」
鮮度の良さを理解しているがゆえのお言葉です。水揚げされてから、できたての春飛魚くさやをお客様にお届けするまで最短四日。その行程は、
- 一日目、早朝港より入荷。
- 二日目、夜け前にくさや液より取りあげ、朝干し開始。
- 三日目、早朝、完成。お客様の元に出荷。
- 四日目、お届け完了。
ちなみに、豊洲市場に届くのは漁獲された夜。競りにかけられるのは、翌日朝。(二日目)それから各お魚屋さんに出回り、購入されるのは・・・ある、お客様からのお言葉です。
「先日、飛魚を購入したけど、長田さんのくさやの方が鮮度良かった・・・」
鮮魚より、鮮度の良い干物 理解して頂けただろうか・・・理解して頂いた方はこちら←カチッとね
安心、安全
くさやを製造するのに使用するのは、原料となる「魚」と「くさや液」。元々くさや液は、「塩水」であった。塩水を繰り返し使用している内に発酵し始めたのが現在使用しているくさや液である。基本的に、「くさや液」を一から作ることは不可能である。くさや液に潜むくさや菌は日常見られる細菌類。それらが長い時間を通して島の風土に馴染み塩水の中で生活をはじめた。そこは化学的には到底説明できない領域となる。なぜなら、くさや液は生きているからだ。気がついていただろうか・・・季節により、くさやのでき具合が異なることを。色、艶、風味。全ての環境が整ったとき、その完成度は他の干物の類ではない。父は言う。
『一年に一度、「これだ!」と思うときがある。』
この瞬間に出会ったときの喜び。また一年、仕事が続けたくなる。くさや液に追加される物が、一つだけある。それが「塩」だ。くさや液は、唯一魚の体水で増えていく。水分が増えることにより、塩分度数が下がってしまう。そこで塩を追加し、塩分量を調整する。塩分の調整は、甘辛さを調整するだけが目的ではない。 元々は保存のための塩であったが、味を調え、更には細菌類の生活場を一定環境に保つ要素を備える。そのため 当店では、くさや液に馴染みやすい「100%海水から作り出された塩」のみを限定使用している。しかも海水の流速が早く塩分濃度も高い清澄な海水から作られた塩だ。それだけではない。その形状は粒径が細かくウェットタイプで水溶性に優れている厳選品だ。「塩」には、こだわらずにいられない。
くさやには、保存料、添加物など一切含まれない。
もちろんくさや液にも。私が大事しているのは、・原料である魚の鮮度と、・くさや液へのこだわり。この二つは八丈島でしか作れない大事な要素である。八丈島の風土ゆえに製造できる「くさや」。他では作れない・・・