発酵に至るまで
元々は塩水だったと言われるくさや液。その一説には年貢の塩を節約するため、塩干しを作る塩水を捨てずに繰り返し使い続けていると、魚の蛋白質を源に発酵がはじまったと言われています。代々引き継がれたくさや液は、伊豆諸島固有の環境の中で熟成しました。年間降水量3,202.4mmと全国で三番目に多い八丈島は、湿度(年平均80%)が高く、夏(8月の平均気温は26.3℃)は涼しく、冬(1月の平均気温10.1℃)は暖かい、くさや液の中で生活を営むくさや菌にとっては繁殖するのに最適の環境でした。それゆえ増殖速度は大変はやく、他の腐敗菌を全く寄せ付けない固有の世界を作ることができたのです。 八丈島のくさや液成分は、伊豆諸島の他の島々に比べ、塩分、灰分がそれぞれ約10%と高く、水分がくさや液全体の85%と少ないのが特徴です。この環境の違いは優勢菌株にも影響を与え、くさや菌として他の島々では多くみられるCorynebacteriumが少ないという希有な特徴があります。
このくさや液の中に飛魚やむろあじを入れると、くさや菌の発酵がはじまり魚の蛋白質や脂質を分解します。その過程で抗菌性物質が生成され空気中から入ってくる様々な菌を分解していきます。これらの抗生物質は特に切り傷などの外傷によく効き、新島では風邪や下痢等の薬としても活用されたと言われます。私自身、指先の傷は化膿することなく治ることを経験しています。 ちなみに気になる臭いの素は、発酵の過程で生成されるアンモニア、硫黄化合物、酪酸などの成分によると考えられています。これらの成分は嫌気性細菌のClostridiumらによると考えられ、くさや液をかき混ぜることにより更に強い臭いを発します。
画像:くさや液をかき混ぜた直後。 くさやの旨みには鮮魚にのった脂肪の旨みと、発酵により作られた蛋白質系の旨みがあります。くさや液の中で分解された蛋白質は、グリシン、アラニン、グルタミン酸といった遊離アミノ酸成分となり旨みを増加させます。実はこの旨み成分がくさや液の秘密だったのです。 旨み成分を醸し出すくさや菌の発酵。発酵に欠かせないのは、温度、湿度、塩分、空気そして魚です。これらの環境と適度なくさや製造がくさや菌にとって最高の環境を導きます。気温が低いと発酵力は低下し、気温が高いと「過度」の発酵で腐敗がはじまります。 塩分が少ないと臭いが強まり、休みなく製造を続けるとくさや菌が減少します。魚の種類によっては菌も異なります。各島、各加工場によってくさやの風味が異なるのは、製造工程はもちろんですが、くさや菌の環境と育て方にもよるところが大きいです。
ヤマサ水産のくさや液
北海道から帰ってきてまもなくのことです。水産加工組合に行くと一枚のポスターが貼ってありました。そこには、八丈島のくさや起源について「明治の初期、新島からくさや液が届いた。」と書いてありました。このポスターは廃棄され、今は私の記憶の中にしかありません。この記憶だけで、八丈島のくさや起源を発することは非常に危険ですが、明治初期からくさや液を引き継いでいる加工場も現存することから一説として今後も語り伝えていきたいと考えてます。 当店のくさや液は、明治より伝わる加工場の一件から直接分けて頂いたものです。今は亡き祖母が何十年も手伝い、船持ち漁師だった父の漁獲した飛魚を製造して頂いた歴史ある加工場です。実は私が帰ってきた頃の水産加工組合長で、夜自宅に呼ばれては八丈島の加工状況や今後についてご指導を頂きました。お亡くなりになり十数年たちますが、全国大会で東京都知事賞を頂いたのも当時の組合長が出品を進めてくれたおかげでした。
ヤマサ水産独自の風味を醸し出すため、書きためた作業日記は25年目を迎えました。くさや液の塩分度数、魚の鮮度、大きさ等々。北海道で学んだ、植物プランクトン、動物プランクトンの培養技術。アワビ、カレイ、ソイ等の魚介類やコンブの種苗生産技術はくさや菌の生育に大変役立ちました。もちろんヒラメを含めた魚介類の飼育は魚の生態を知る上で欠かせない物でした。 ただ一つ私には足りない物がありました。それは死んだ魚の管理。活かすことには長けていましたが、漁獲されたあとの鮮度やその後の管理方法がわかりませんでした。父は若かりし頃、アホウドリで有名な鳥島でも春飛魚を漁獲していました。出漁から帰島まで一週間。漁師である父だからこそ身についた魚の鮮度保持。この技術を学ぶことにより当店のくさや鮮度は飛躍的に良くなりました。 2010年4月。宮城学院女子大学大学院の学生さんの協力で、当店のくさや液に含まれる細菌数をRLU値で調べて頂きました。好気性菌数は100μL(1mLの10分の1)の培養液中に約1万~2万程存在していました。測定した他の食品と比較すると、大体ヨーグルトと同じくらいの値だったそうです。嫌気培養した培養液のRLU値は、100μL(1mLの10分の1)中、約10程しか確認されませんでした。このことから当店のくさや液のほとんどは好気性細菌であることがわかりました。2021年現在、他の大学関係機関と更に研究中です。
ヤマサ水産の旨味
くさやの旨みには鮮魚にのった脂肪の旨みと、発酵により作られた蛋白質系の旨みがあると紹介しました。これらの旨味は、究極の鮮度保持とくさや液の発酵力に左右されます。そして一尾一尾大切に製造する想い。漁師であった父の経験と、栽培事業で学んだ私の経験。そして子供達との愛情溢れる家族営業だからこそ受け継がれる伝統の味を、ぜひお楽しみ下さいね。