このホームページは一通の手紙からはじまりました。

娘が原因不明の病気、《川崎病》に罹患したのは3歳の時でした。当時4ヶ月の次男をはじめ、家族みんなで協力し、がんばった入院生活。そんな時、一通の手紙を書きました。このホームページは、この 一通の手紙からはじまりました。

少し大きくなれたパパより、娘ミクへ

25日間という長い間、病気と戦ってくれてほんとうにありがとう。パパはどれだけミクの将来を悲観し嘆いたことか…。毎晩毎晩ミクに付き添い、苦しんでいる姿を見てどれだけ代わってあげたいと思ったことか…。

ミクの病気が落ち着き始めたころ一冊の本に出会いました。死を目前にした患者さんのことばです。「人の何倍も働き、地位も財産も得た。でも次、生まれてくるときは家族を一番大事にしたい。」

たった一度の人生です。家族の絆を考えさせられた入院生活でもありました。

生と死をこんなに身近に感じたのは初めての体験でした。だからこそ、この日この時が笑い話としてできる日を楽しみにしています。一生付き合っていかなければならない病気だけど、一緒にがんばろうね。

そしていつかミクにも家族ができたらパパから新しい家族にバトンタッチ。一緒にがんばっていきなさい。


はじめに

2000年のカウントダウンが始まるころ、3才の娘は川崎病におかされていました。『川崎病』。知らない人は「公害病の一種?」と心配そうな顔で聞いてきます。そして川崎病を知る人は、驚き、一瞬絶句する様子がうかがえました。私はもちろん前者の方でした。原因不明のこの病気は、熱や痛みが消えたあとでも、後遺症が残ると死に至る場合もある本当に怖い病気でした。

適切な治療を行えば、後遺症の残る確率は極力低い数字になるのですが、我が娘となるとその確率が20人に一人いや30人に一人だとしても、不安で現実から目を背けたい気持ちで一杯でした。なぜ私の娘が…

八丈島では年間約一人の割合で川崎病が発症されているようです。偶然にも小児科の先生が川崎病を経験した方で、発症3日目には疑いをもたれ、5日目には治療を開始することができたのは、本当に不幸中の幸いでした。ミクとパパの川崎病やっつけろ日記、ぜひ読んで下さいね。

ミクと

ミクとパパの川崎病やっつけろ日記

  • 入院までの経緯
  • 1999年12月29日実家に泊まるが、午前1時頃、夜泣きをして帰宅。
  • 12月30日早朝、寝ているが餅つきのため起こす。せきをし始め、治ったと思った風邪がまた?
  • 12月31日(発症1日目)午前2時頃、40度の熱がでる。一日中寝かすが症状かわらず。
  • 2000年1月1日(発症2日目)朝、これまでにない腹痛を訴え病院に行く。小児科の先生が明日当番であることを教えてもらう。
  • 1月2日(発症3日目)朝、体力が無くなり、千鳥足状態でフラフラ。体に発赤がみられ、かゆいと訴えるので、再度病院に行く。2~3日して熱が下がらない場合は病院へ来ることを指示される。(川崎病の疑いあり?)
  • 1月3日(発症4日目)両目が充血し、真っ赤になる。夕方より一時熱が37度台に下がる。疲れてきたのかベットに横たわる時間が長くなってきた。
  • 1月4日(発症5日目)朝、ヨーグルトを食べさせる際、苺舌を発見。病院へ行き、午後より入院となる。

治療とミクの症状。そして●パパの日記
  • 1月4日 最終便(17時)でガンマグロブリンが届き、1回目の投与開始。
    ●初めての点滴で、無意識に手が針に…。ベットもかわって寝づらそうです。

  • 1月5日 2回目の投与開始。体が黄疸ぽく、少しはれたリンパ節を気にしてさわっている。暖かいもの酸っぱいものなど少しでも刺激するものがあると口に付けない。パンだと少し食べる。
    ●川崎病の反乱で、ぐずってばかり。熱も下がらずかわいそう。熟睡もせいぜい1~2時間。あとはだっこにおんぶ。

  • 1月6日 寒くてふとんにくるまり寝言を繰り返す。手足がむくみはじめ、唇も乾き腫れてきた。関節痛を訴え、一番つらそう。ガンマグロブリン、午前と午後の2回投与する。おしっこの色薄くなってきた。
    ●関節痛とかゆみでつらそうです。おなかもすきのども渇くのですが、唇、舌ともにあれて、あまり口にしません。食べたいけど食べると痛いのでしょう。寝言もうめき声にかわってきました。戦っているんだね。がんばれ!

  • 1月7日 「パンを食べたい。」と4cm角ぐらいのパンを食べた。少し口が良くなってきたのかな?目の充血はおさまってきた。10時より投与開始。
    ●食欲がでてきて少しホッとする。熱が高いときにはまだ40度に上がるので点滴が効いているのか不安になる。横になるのがつらく、だっこ、おんぶと一晩中ベットで寝てくれない。

  • 1月8日 舌がまだ荒れているが、ヨーグルトだとおいしそうに食べる。うんちがでた。顔色も少しずつだが赤みがとれてきたようだ。ガンマグロブリン、午前と午後の2回投与し終了とする。(5日間、計7回行う。)
    ●関節痛がひどく、パジャマを脱がすのにも気を使います。日中ぐずって起きていたせいか19時頃から熟睡。入院して初めて寝顔が楽しそうに見えます。予定した5日間の点滴投与が終了しました。熱の上下が激しく、本当にこれで治るのか心配です。先生は2~3日様子を見て改善が見られなければまた3日間の投与とか…。がんばれmiku。病気に負けるな!

  • 1月9日 カッパエビセン、チョコ、イチゴ、ラムネ、ヨーグルトにゼリー、少しずつですが食べました。舌も白くなりブツブツが減ってきました。自分のおならに笑う余裕がでてきました。朝の検診で先生より「昨日までの心臓の動きと違うね。」
    ●今日は忘れられない日です。10日間も寝たきりだった娘が、色鉛筆を片手に書く書く。はじめは1㎝位動かすだけだった絵が、弟の顔やママの絵をを書くまで元気になりました。7ページにも及ぶこの絵は宝物です。でもまだ39.2度まであがっちゃいます。夜は続けて6時間45分も熟睡。これまでは1~2時間ごとに起きてたのに。付き添いでやることもなくちょっと寂しいような不思議な気持ちです。

  • 1月10日 点滴針がとれました。両手が使えて大喜びです。顔色も良くなり若干むくみが残る程度に快復してきました。鼻の頭にも汗をかき始めました。熱が高いところで37.7度と下がりました。
    ●お姉ちゃんと二人で、ケラケラ笑います。顔の表情がゆがみ、安心します。一回一回笑うのにパパの顔を確認し笑ってくれるのがとっても嬉しい。ヨカッタネ。mikuが初めて体験した苦しみであり、そしてそれを乗り越えたときであったような気がします。

  • 1月11日 苺舌も7割ぐらい良くなってきました。手足のむくみも柔らかくなり、若干指先が剥け始めました。少し歩くようにもなり、両手も不自由なく使い始め、気に入ったおかずは自分の箸で食べ始めました。
    ●舌を指さして、「いたくないよ。ここ。」バナナも少し食べはじめ、アスピリンも苦にしません。なるほど、舌の回復は早いようです。

  • 1月12日 起床とともに食欲おおせい。7時過ぎにはおしっこ、うんちがでました。顔色は日に日に良くなり、朝歩かせると喜んで病院内を歩きます。心電図検査も異常なし。点滴による体内の蛋白質分解を正常値に戻すため、あと一週間位食事をとりながら入院が必要とのこと。おしっこの回数が急増しました。
    ●夜の生活パターンができてきた。19~20時くらいにおしっこをすると、ぐずりながらも寝入ってしまう。0時頃に再度おしっこ。その後は朝までぐずりながら寝ながらの繰り返しである。せきが1日、100回以上でるが原因不明。

  • 1月13日 心エコーの結果、冠動脈の大きさは入院時とかわらないとのこと。血液検査は、血沈の値(118)がまだ高いためアスピリン1日3回服用を続けて下さいとのことでした。手の指の皮一列はがれてきた。
    ●検査で疲れたせいか、せっかく食べた夕食のお粥を全部はいてしまった。健康そうに見えて、まだまだ全快というわけには行かないようだ。おしっこ検査が終わり、嬉しそうである。午前2時頃と6時頃になると空腹になるようだ。

  • 1月14日 手足に白点のような脱色が見られる。鼻水とせき以外は良好。
    ●パパの歯磨きの仕方が下手なせいか、今日も寝る前の歯磨き中、はいてしまった。でも深夜になると、シュークリームや牛乳パックをペロリ。どちらかというと、日中の仕事が忙しくなってきたパパの方が不健康そうです。

  • 1月15日 頬の赤色が完全に消え、足の太さも通常に戻りました。指先はピンク色になり、はがれた皮がなくなりつつあります。今日から昼寝し始めました。
    ●病院に慣れ、我が家のような生活態度になってきました。自分の部屋の場所も覚え、のびのび入院ライフです。

  • 1月16日 体調良さそうで、食欲もあり、うんちはなんと4回もでました。指の皮はかなりはがれてきました。
    ●本を読みながら、声もたくさん出るようになってきましたが、最近は甘えてきて、1~2時間ごとに抱っこ、おんぶとせがむようになりました。

  • 1月17日 小児科の先生がお正月休み?のため、東京から心臓専門の先生が来られ、心エコーを見ていただきました。が、画像が不鮮明であまり見えないとのこと。20分ぐらいの診察結果、今のところ異常なし。とのこと。
    ●おしっこの時間、空腹の時間が健康時に戻りつつあるような気がします。心エコー、当病院は腹部エコーしかないそうで…、しかも鮮明画像のスイッチはついているが、ただのスイッチらしい。

  • 1月18日 血液検査の結果、血沈は80、CRPは1.1でした。順調に下がってはいるようですが、あと一週間ぐらい入院が必要とのことでした。お風呂の許可がおり、足かけ2年ぶりの入浴でさっぱり。
    ●指の痛みもせきも少なくなり元気です。こんなに元気なのに、体の中はまだまだ健康ではないんですね。本当に怖い病気です。体重も入院時より0.6㎏増えました。2回も体をこすったせいか、入浴後は手がしわしわ。

  • 1月19日 昨日のお風呂で、指先の皮が全てとれてしまった。熱はまだ37度前後あるが外見上特に異常なし。
    ●いつも朝挨拶に来る内科の先生によると、熱が下がり、白血球が減り、血沈が下がるそうだ。もー少しかな?

  • 1月20日 心電図、レントゲン、ともに異常なし。あさって血液検査で良好であれば外泊可とのこと。ただし明日から先生が代わるのでどうなるやら。熱あいかわらず37度前後あり。
    ●あいかわらず、内科の先生が顔を出すと、泣き始め抱きついてくる。何回教えても白衣を見ると注射されると思い怖いようだ。内科の先生は一度も注射してないのに…。廊下で会うと手を振るのに子供心はわからない。初めて本を読んだだけで寝てしまう。(これまではおんぶか抱っこして寝かしていた。)満足して寝たせいか20時~4時までぐずりはしたが起きることなく寝てくれた。夜のおしっこも無くなり、少しずつ生活リズムを戻しているようだ。

  • 1月21日 前回の血液検査から日があまりたっていないので24日に延期となる。ただし今のところ心臓に異常はないので明日から2日間外泊OKとなる。バンザイ!バンザイ!
    ●自分の好きなものはものすごく食べるようになった。病院内も覚えたせいか散歩しようとせがみ、動きすぎは良くないと説得するのに大変。

  • 1月24日 2日間の外泊を終え、朝、血液検査を行う。午後より血沈がまだ50と高いが、退院の許可がおりる。ただし、10日後、1ヶ月後検診。アスピリン朝1回服用とのこと。
    ●やっと退院です。昨日一昨日と外泊なのであまりピンときませんが、家にいてくれるので安心します。 今のところ後遺症もないので良かった良かった。まだ熱と血沈が高いので気をつけよう!
ミクと

朝日をバックに病室にて 00/01/21



弟ケイも川崎病に・・・

ミクの回復は順調で定期検査も異常なし。その年の12月8日には保育園で元気に発表会。

実はこの頃からケイの様子がおかしく・・11日に病院で抗生剤を打ってもらいました。少し元気に見えましたが熱は下がらず、翌朝には唇が血の固まりで真っ黒に。「まさか川崎病?」

翌朝も同じ症状で病院に連れて行くと「川崎病で入院。」まさか姉弟揃って川崎病になるなんて。

ミクのおかげで病院にはガンマグロブリンが常備されていました。
先生にミクの入院状況を伝え熱が出始めて4日目なので「早めにガンマグロブリンの治療をはじめてほしい。」とお願いました。
「血液製剤なのでショック症状が現れることもある。」とのことでしたが、先生の判断でまもなく治療がスタート。

息子

すると翌朝、「薬の効果、早かったですね。」と先生。

わずか1歳のケイ。それからもぐずって大変な入院生活でしたが、症状は改善方向に。
保育園から帰宅したミクは「病院に行くー。ケイちゃんのとこ行く。」と泣きじゃくり・・・感じる物があったのでしょうね。

お歳暮商戦とケイの入院で何も準備できなかったクリスマスイブ。先生と看護師さんの心遣いで一時退院することに。

ケーキを食べはじめると、長女のユリナッチが「あっ。」
部屋に走っていき戻ってくると、弟妹にクリスマスプレゼントを。
「どうしたの?」と聞くと「小遣いで買ったの。」

ありがとね。
忘れられないクリスマスとなりました。

子供達

やっと兄弟4人で


川崎病について

川崎病とは全身の血管炎で原因は不明です。 血管に障害を起こす可能性があり、少ないとはいえ突然死する場合もある恐ろしい病気です。6つの主症状のうち5つ以上の症状が見られる場合に、『川崎病』と診断されます。6つの主症状とは次の通りです。

  1. 原因不明の熱が5日以上続く。
  2. 急性期に手足の指先が硬くむくみ、手のひらや足の裏、手足の指先が赤くなり、回復期には指先から皮がむける。
  3. 体全体に大きさや形の一定しない発疹が現れる。
  4. 両目がウサギの目のように赤くなる。
  5. くちびるが赤く、舌はイチゴ状に赤くなり、口内の粘膜も赤くただれる。
  6. 急性期には首のリンパ節がはれる。

ただし心エコー検査などで冠動脈瘤が確認された場合は5つに満たない場合でも『川崎病』と診断されることがあります。川崎病の治療にはガンマグロブリンが有効です。ガンマグロブリンとは、血液中の血清に含まれているタンパク質の一つで感染防御、免疫反応などの重要な役割を果たしています。ガンマグロブリン製剤は献血などによって得られた血清を原料としてつくられる血液製剤です。発病から8日以内から連続5日間、ガンマグロブリンを投与した場合は冠動脈瘤の発生率が非常に少ないと言われてます。ただし、ガンマグロブリンがどのように作用しているかは、わからないことが多いようです。 2015年3月10日の朝日新聞によると、2012年の患者数は13,917人で、過去一番多かった1982年の15,519人に次いで2番目の多さに増えたそうです。

PAGE TOP