今日から焼きくさやの製造がスタート。
早朝からくさやの香りで一杯です。
そんな中お客様が。
「いつもくさやを買いに来る方が来れなくて・・・
(その方への)お土産を買いに来ました。」
と。
嬉しいですね。
焼きくさやと激辛を購入して頂きました。(^O^)
お土産には、焼きくさや
やはり一番人気ですね。
さて、
ちょうど一週間前のお話しです。
6月7日(木)
いよいよ旅行も四日目。
自由行動も今日が最後です。
朝9時前に集合し
「歩いて行こがん。30分くらいだっていや。」
「きっとこの辺りから始まるんだろうね。」
と話しながら、大橋に。
偶然、20分間のシアター時間が案内され
「見よう~」
と、ミニシアターに。
内容は、「支倉常長-光と影」
でした。
支倉常長は、今から400年前。
伊達政宗の命で、
宣教師ルイス・ソテロが率いる約30人の使節団や多くの商人ら約180人と
ヨーロッパに渡りスペイン国王とローマ教皇に会い、外交関係を結びにいきました。
ローマでは歓待を受け、公民権まで与えられましたが
日本国内ではキリスト教禁止令が発せられるなど徳川幕府の対外政策が変化してきたため
スペインとの貿易交渉は思うように進まなかったそうです。
1617年7月、
アカプルコ港からサン・フアン・バウティスタ号に乗った常長は、
マニラを経て長崎、そして仙台へと帰国。
キリスト教弾圧が厳しさを増すなか、1622年8月、52年の生涯を閉じます。
250年後。
明治維新まで支倉常長の名前は表舞台から遠ざかり忘れられていました。
常長の名前に光が当てられたのは1873年。
明治政府が欧米に派遣した岩倉具視使節団が、
訪問地のイタリアで常長の業績を知らされたからだそうです。
支倉常長は
実在の日本人を描いた最も古い油絵として知られ、国宝「支倉常長像」として、
今も見ることができます。
ちなみに、
慶長遣欧使節関係資料のうち、
「支倉常長像」「ローマ教皇パウロ五世像」「ローマ市公民権証書」の3点は、
平成25年6月にユネスコ記憶遺産に登録されています。
と言うわけで
すっかり支倉常長にはまってしまいました。(苦笑)
そして、いよいよ
伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)へ。
家康の警戒を避けるために天守閣は設けなかったそうです。
標高約130m。
城は消失し、石垣と政宗公騎馬像を目指し
坂を登り始めました。
上を見ると緩やかに見えるのですが、これが結構キツく
下を見ましたら、すぐに納得!
「勾配、こんなにきつかったんだ~」(>_<)
さすがにきつく
上っていく車のエンジン音が響きます。
34年前、この地に立ったはずなのですが・・・
全く思い出せない。(苦笑)
帰りは、詰門跡のバス停まで戻り
るーぷるバスで
ホテル近くまで帰りました。
みんなでお寿司を堪能し解散。
最後の午後は自由行動になりました。
私はと言うと・・・
テレビ映画を見て、その後仮眠。
さすがに疲れ果てました。(>_<)
旅行最後の夜は、山形のお店に。
しゃぶしゃぶが美味しかったな~
こうして、
今回の旅行も終了しました!
梅雨前の旅行は、天候に恵まれ
湿度もなく最高でしたね。2018年6月14日
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