長期的ビジョンを持つこと。
そんな話題の記事を読み、ふと気づくことがありました。
何だか、急な話題で申し訳ありません。(苦笑)
妻が昨日の最終便で帰省。夜10時頃、北海道に着いたと連絡ありました。
夕方5時前に家を出たのですが、わずか5時間で札幌の長男宅に着いてしまうのですね。
そんなわけで、今日は朝から依頼されていた見積もりや商品の発送を終え一段落。さて、この一週間、どうすごそうかと考えていました。
そんな時、ふとメールを見ると時間の管理法についての記事が。
どんな風に活用するんだろう?
と記事を読んでいくと、
常に数十年先を見据えることが大事であると書かれていました。
新入社員の頃、「15年先を見据えなさい。」と言われたことを思い出しました。あの頃は、目の前のできる事を一つずつ行うことで精一杯でしたね。
大失敗からスタートしたエゾアワビの中間育成にめどが立ち、種苗生産に成功。次はと初めた魚類飼育は、クロソイの全滅でまたも失敗からスタート。(>_<)これではいけないと修行に旅立ち、翌年クロソイの種苗生産に成功。続いてヒラメの育成を初め、クロガシラの種苗生産を成功させました。
当時は知識がスポンジのようにしみ込み、それを咀嚼して自分流として体から放出する事ができました。その一つ一つは技術でしたが、その先には「漁師さんの生活を潤させるため」というビジョンがありました。
そんな二十代が、社会人としての自分を育ててくれましたね。三十代でUターンし、ゼロから始める島の生活を支えたのはネットとの出会いでした。ダイヤル回線で「ピー」と接続するなんて、今の方には理解できないでしょうね。
画像一枚でさえ重く、動画なんて・・・そんな時代を変えたのは四十代。ソフトバンクの社長 孫正義氏との出会いでした。全国の離島で一番最初にYahoo!BBが整備された八丈島。島おこしが一気に加速し、自分の経験を120%役立てることができました。
そんな四十代の後半、環境問題に携わり、島での生活は一変します。行政、議会の決定に反対することはそれまでの生活をぶちこわすものでした。そして更に追い打ちを掛けたのは、人を信用できなくなったことでした。
五十代になり、PTA役員選挙で選ばれると新たな活動の場を与えられました。それまで○○くんのお母さん、□□さんのお父さんがとても身近になり、外に出る機会の少なかった自分が再び表舞台にでるようになりました。
教育の場に接し、子供達から成長する事の楽しさを学びましたね。自分自身も「子供達を通して、何かを伝えたい。」そう思うようになったのは、たくさんの先生、保護者そして関係者みなさんに接することができたからだと思います。
二年前の八丈高校卒業式。PTA会長の祝辞で紹介した言葉。
孫氏はこんなことを言ってます。
「来月の幸せのためじゃなくて、50年後100年後300年後の世界中の人々の幸せのために。」と。
自分は何ができるだろうと考え問い続けること。そしてその答えは人それぞれたくさんあるのだと言うこと。そのことを理解し、尊重し合うことが、私は大事だと考えています。
この一年、私はみなさんの成長を見てきました。
だからわかります。
「みなさんの未来は輝いている。」と。
卒業生への祝辞は、実は自分へのエールのような気もしてきましたね。(苦笑)
教育の場を離れ、次はどこに行くのだろう。そんな一年でした。ですから「おさださん!」と誘われると、できる限り断らず今日を迎えました。
明日は製造予定でしたが、10時から撮影があり、13時から9名の見学があり、15時からは加工組合の役員会が。一つの予定が日を追うごとに埋め尽くされていきます。
思うようにくさや屋の仕事をこなせませんが、「ボッと生きる」よりもいいかな。(笑)2019年2月11日
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