永代橋崩落事故と流人のお話しでした。

昨日は、午後から第18回八丈島歴史セミナーに参加。
青ムロアジくさやの「干し上がり作業」で、
ほとんど寝ていなかったのですが、受講しとても勉強になりました~

まずは永大橋崩落があったのは、江戸時代のお話し。
当時は船で対岸に通っていたそうですが、
1698年、将軍徳川綱吉50歳の記念事業として橋がかけられたそうです。

長さは114間(約200m)、幅3間4尺5寸(約5.5m)
大きな橋ですね。

当初は幕府管轄でしたが、懐事情より橋の廃止が唱えられ、
困った人々は、自分たちで管理する事で橋の使用を許されました。

そんな中事故が起こります。
発端は江戸の三大祭りのひとつ「深川八幡祭り」。

12年ぶりに開催された「深川富岡八幡宮のお祭り」中のことです。
一橋家の船が橋の下を通るため、その間通行止めしたのですが~
一時間後、通行解除した橋の上は・・・
想像尽きますよね。(>_<)

たくさんの人により、橋が崩落。
犠牲者の数は千人を超えたそうです。

その責任をとることになったのが、
橋掛かり諸請負人の3人、同番人7人他。

請負人だった3人の内の一人、
忠右衛門が八丈島に流罪として流されました。

着島時53歳。16年後病死されたそうで・・・
流された理由には
「永代橋落候儀に付」と書かれてあるそうで~

通常理由まで書かれている方は少なく
事故の大きさがわかると説明されていましたね。

こんな長々書いた理由は
「富岡八幡宮、東京マラソンでUターンした場所じゃん!」(^O^)
隅田川を渡ったのは、
残念ながら「永代橋」ではなく「蔵前橋」でしたが
私の中ではインパクトとても大きかったです。

ちなみに、
永代橋崩落事故のお話しは、たくさん検索できるのですが
流人のお話しは見当たらず・・・
貴重なお話しを聞くことができよかったです。


お話しと言えば~
今日は末っ子ケイの同級生、Sちゃんから連絡が。
「見学できます?」
「う~ん、明日から製造だから今日なら」
急遽午後から見学に。

実は、今朝5時前に「登龍峠走」を行い体調不良に。(>_<)
朝、ボーとしていましたが、13名とのことで準備を。

で、
午後から見学にいらしたのは~
好奇心旺盛なみなさんでした。(^O^)

中には長野マラソンを走ったばかりのお医者様もいらっしゃり~
「マラソンの写真、気になっていました」(苦笑)

食に対しての考え方からくさやの売り方まで
幅広いご意見を頂き、私自身とても勉強になりました。

さて、
今日の夕方は妻のジョギングに付き合い、
早めに寝よう!
明日は青ムロくさやの製造予定です。

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